『戦場のコックたち』の感想

戦場のコックたち

戦場のコックたち

待ちに待った深緑野分の初長篇である。
発売日*1に仕事を早退して本を買ったくらい期待していた本だ。
でも、本を手に入れてしまうと、ふっと気が緩んでしまい、「これは一気読みしたほうがよさそうだから、余裕ができるまで寝かせておこう」などと思ってしまった。なにせ本文二段組で約350ページあり、登場人物一覧表に掲げられているだけで29人もいるのだから、心してかからなければならない。
だが、しばらく経って気がかわった。「余裕ができるまで……」と言っていては年末まで待たないといけないことになる。そうすると、台風の季節は終わってしまうだろう。二百十日までには読み終えられなくても、二百二十日をめどに読み進めることにしよう。そう思いなおしたのだ。
結果、二百二十日には読み終えることができなかったが、台風シーズンの間に読み切った。
作者名が深緑「野分」だというだけで、『戦場のコックたち』は台風を扱っているわけではない。そんなことは最初からわかっていた*2。だが、読み終えてみると、やはりこの小説は台風に似ている。すさまじいパワーと破壊力、そして通過したあとの安堵。
深緑野分は長篇第1作にして、作家としてのステージを2段も3段もとばして駆け上がった。そんな感じがする。
これは待たされた*3甲斐がありました。
さて、このあたりで『戦場のコックたち』の内容を紹介しておくべきだろう。でも、あらすじをまとめるのは大の苦手なので、著者本人のことばを聞くことにしよう。
D
んー、あまり内容に触れていない。では、担当編集者による紹介を。

1944年、8月。ノルマンディーへの降下が、僕らの初陣だった――17歳で志願し、19歳で初めて戦場に降り立ったティモシー・コール五等特技兵こと「キッド」。背は高くて体格もまあまあ、しかし穏やかな性格で運動神経もない彼は、同年代ながら冷静で頭脳明晰なエド・グリーンバーグに誘われ、軍隊では「罰ゲーム」と蔑まれるコック兵となる。もっとも、空挺緒部隊所属の特技兵であるコックの仕事は、戦闘にも参加しつつ、その合間を縫って調理をこなすというハードなものだった。

同じく後方支援を任務とする個性的な仲間たち――同じコック兵でプエルトリコ系の陽気なディエゴ、小柄で態度の大きいスパークと大柄で繊細なブライアンの衛生兵コンビ、調達の名人で容姿端麗な機関銃兵ライナス、おしゃべりな赤毛の補給兵オハラ、文学青年の通信兵ワインバーガーら――とともに、過酷な戦いの合間にみつけた「ささやかな謎」を解き明かそうと(気晴らしも兼ねて)知恵を出し合うが、謎を解くのは決まっていつもは物静かなエドだった。

ノルマンディー降下後に解放したフランスの小さな村では、軍に回収されるはずの未使用のパラシュートを個人的に集めて回る兵士の目的を推理し、後方基地でのつかの間の休暇中には、一晩で消え失せた六百箱の粉末卵(すごくまずい)の謎に挑む。そして激戦をきわめたオランダの「マーケット・ガーデン」作戦のさなかに起きた、おもちゃ職人夫婦の怪死事件の解決と、残された子どもたちの面倒見に奮闘する。その後彼らは「バルジの戦い」を経て、ついにドイツへと到達する――

おお、これは力作だ!
この紹介文は8月4日に公開されているので、もちろん先に読んであったのだが、いま改めて読み返してみると、驚くべきミスリードが施されていることに驚かされる。あ、「驚く」が重なった。
なかなかうまく説明できないのだが、たとえるなら「戦場まんがシリーズ」(松本零時)の作者が坂田靖子だと誤解させるような超絶テクニックだ。たとえが古くてすみません。
深緑野分の小説は、ミステリの「××トリック」というような仕掛けとは別レベルのたくらみが隠されていることが多く、概してあらすじ紹介が難しいのだが、『戦場のコックたち』は例外で、ストーリーをなぞるだけなら最後まで明かしてしまっても未読の人の興をそぐことはあまりないと思われる。しかし、作中の雰囲気とか、中盤以降に明らかになる「ああ、作者はこれが書きたかったのか!」というポイントとかを要約して示してしまうのは、やはり具合が悪いだろう。また、版元としては『オーブランの少女』の読者を着実に『戦場のコックたち』へと誘導していく必要もあるに違いない。そう考えるてみると上で引用した紹介文、そして「僕らの武器は銃とフライパン」というキャッチフレーズには、「なるほどこれしかない」と思わせる説得力がある。
他方で、骨太の戦争文学を愛する人々にはどうやって『戦場のコックたち』の魅力を伝えていけばいいのか、という難問もある。「名探偵」とか「日常の謎」というようなキーワードには全く興味も関心もない、ミステリに冷淡な人々の中にも、『戦場のコックたち』のよき読者となり得る人が多数いるはずなのだ。それは、この本を読んだ書評家諸氏の課題となるだろう。これからどのような書評が出てくるのか、楽しみだ。
「『戦場のコックたち』の感想」という見出しをつけておきながら、自分の感想をまだちゃんと述べていなかった。
この小説は主人公のティムの成長を描いたビルドゥングスロマンとして読めるし、実際、そういう読み方をした。各章で一つずつ提示される謎とその解決は、物語の骨格を支え、主人公の成長のトリガーとなる補助的な要素と捉え、あまり重視はしなかった。
書きようによっては、よりミステリ的効果を上げることができたのではないかとも思われるが、それでは物語の流れを阻害してしまうことになっただろう。正直にいえば、この控えめな書き方はミステリ愛好家としては「もったいない」と思わなくもないのだが*4、だからといって不満があるわけではない。
序盤のティムはあまり魅力のない平板な少年だが、数多くの惨禍を経て成長し、人格が歪み、やがて複雑な内面をもつ大人となる。このプロセスが非常に面白い。上で引用した担当編集者の紹介文の終わりのほうにはトマス・フラナガンの『アデスタを吹く冷たい風』を連想したことが書かれているが、トマス・フラナガンがほのめかすだけで書かなかったテナント少佐の過去の来歴をティムという別人に仮託して書いたのが『戦場のコックたち』だ、と言えるかもしれない。
まだ書き足りない気もするが、細かな感想はまた別の機会にこの本を読んだ人とじっくり語り合うこととして、今はこれだけにしておく。
願わくは『戦場のコックたち』がより多くの人に読まれんことを!

追記(2015/12/20)

『戦場のコックたち』は毎年恒例の年間ミステリランキングの類で高評価を得たようだ。

*第2位『このミステリーがすごい!2016年版』国内編ベスト10

*第2位「ミステリが読みたい!2016年版」国内篇

*第3位〈週刊文春〉2015年ミステリーベスト10/国内部門

今年のランキングは『王とサーカス』が制した感がある。米澤穂信の近年の円熟ぶり*5をみれば当然とも言えるが、私見では『王とサーカス』と『戦場のコックたち』はほぼ互角で優劣つけがたい*6。とはいえ、新人作家の初長篇がいまやベストセラー作家となった米澤穂信にここまで肉薄するとは正直思っていなかった。各種ランキングに参加した書評家その他のミステリ関係者の見識の高さに感心した次第。
このまま深緑野分が快進撃を続けて米澤穂信より先に直木賞を射止めて、ルサンチマンの鬼となった米澤穂信がさらなる新境地を目指して奮起する……というようなことがあるかもしれない。いや、別に米澤穂信のほうが先でも全く問題はないのだが、一読者としてはより面白い展開を期待したいわけです。
閑話休題
深緑野分は『戦場のコックたち』刊行とほぼ同時に「小説推理」誌で『分かれ道ノストラダムス』の連載を開始しており、順当にいけばこれが第2長篇となる見込みだ。
『戦場のコックたち』とは舞台も雰囲気も人物も趣向も全く異なる小説で、『戦場のコックたち』しか読んだことがない読者に作者名を伏せて読ませたなら、たぶん深緑野分の作だとわからないのではないかと思われる。もっとも、単行本未収録の短篇のいくつかとは少し似ているところもあるので異色作というほどでもないのだが、深緑野分の作家としての「引き出し」の多さを窺わせる作品だ。
『分かれ道ノストラダムス』の連載が始まってから「小説推理」は毎月買っているのだが、最近記憶力が衰えて一月あいだがあくとバックナンバーを読み返してからでないと続きが読めない状態のせいで、連載3回めまで読んで中断している。年末に続きを読んでおきたいのだが……。

*1:正式な発売日は8月29日だったそうだが、奥付には8月28日と書かれており、実際、その日には書店に配本されていた。

*2:ヨーロッパには台風はこないので。

*3:第二次世界大戦を舞台にした長篇を書いているという情報は、作者本人がかなり前にTwitterで呟いていたはず。デビュー作『オーブランの少女』が刊行された少し後のことだっただろうか。そうすると、約1年半待たされたことになる。

*4:特に第五章のネタは、これだけでトリッキーな長篇冒険小説が書けるのではないかと思った。

*5:昨年の『満願』も3冠だった。

*6:ちなみに、文春のベストテンで第2位となったのは『』だが、これは未読。

まだ死んではいない

久しぶりにこの日記にアクセスしたので、何か書いておこうと思ったのだが、すっかり日記の書き方を忘れてしまった。昔は毎日2時間も3時間もかけてひたすら日記を書いていたように思うが、としをとると時間も気力も体力も失われていくもので、これはもうどうしようもない。
とりあえず生存報告のみ。

「……に信頼」

国民の命、幸福、安寧を守っていくことが為政者の一番大きな責任だが、前文になんと書いてあるか。私たちの命を「国際社会に預けなさい」と書いてある。 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」。これも変な日本語ですね。「…われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてある。下手な日本語。文法も間違っている。

「諸君は、自分の想像力に信頼しないで、それぞれの人物を、モデルによつて研究してほしい」と。

近頃は翻譯書と云ふ翻譯書を予の家に持ち込んで、序文を書かせることが流行る。何の縁故もない人が皆持ち込んで來るのである。中には衆愚がお前の序文に信頼するから不本意ながら書かせるのだと明言する人もある。又文字や假名遣を一々世間並の誤字、假名遣に改めた上で載せる人もある。或は想ふに此種の序文注文人と彼誤譯指※(「てへん+二点しんにょうの適」、第4水準2-13-57)者とは同一人であることもありさうである。

彼れはまた思つた。大海の中心に漂ふ小舟を幾千萬哩の彼方にあるあの星々が導いて行くのだ。人の力がこの卑しい勞役を星に命じたのだ。船長は一箇の六分儀を以て星を使役する自信を持つてゐる。而して幾百の、少くとも幾十の生命に對する責任を輕々とその肩に乘せて居る。船客の凡ては、船長の頭に宿つた數千年の人智の蓄積に全く信頼して、些かの疑も抱かずにゐるのだ。人が己れの智識に信頼する、是れは人の誇りであらねばならぬ。夫れを躊躇する自分はおほそれた卑怯者と云ふべきである。

里村は気が気でなかった、波止場はすでに向うに見えている。彼はいても立ってもいられなかった。ことに、自分の体力に信頼しきって悠然とかまえている田中のそばにいるのがもう辛棒できなかった。彼はふらふらとデッキのベンチをたち上って船室へ降りていった。

2015年3月に読んだ本14冊(うち小説6冊/マンガ4冊)

学校へ行けない僕と9人の先生 (アクションコミックス)

学校へ行けない僕と9人の先生 (アクションコミックス)

裏切りの日日 (集英社文庫)

裏切りの日日 (集英社文庫)

かけおちる (文春文庫)

かけおちる (文春文庫)

クイーンのフルハウス (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-28)

クイーンのフルハウス (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-28)

バラの中の死 (光文社文庫)

バラの中の死 (光文社文庫)

りんごかもしれない

りんごかもしれない

号泣 (集英社オレンジ文庫)

号泣 (集英社オレンジ文庫)

今月はわりと忙しかったわりにまずまずよく読めたほうだと思う。
『クイーンのフルハウス』は再読だがそれ以外はすべて初読だ。また、青山文平、日下圭介、松田志乃ぶの3人の小説家の本を読むのはそれぞれ今回が初めてだ*1年始に「これまでに1冊も読んだことがない小説家の本を10冊以上読む」という目標を立てたが、1月に7冊読んでいるから、これで目標を達成したことになる。
今月読んだ本はみな面白かったが、ミステリに限っていえば上に掲げていない小説がいちばん面白かった。それは友井羊が「小説すばる」で不定期連載していた“青春洋菓子ミステリ”シリーズ*2で、これは久々に「やられたっ!」と脱帽した。早く書籍化してほしいものだ。

*1:「なんで、今まで日下圭介を読んでいなかったの?」と問われるもしれないが、「ただ何となく」としか言いようがない。確か倉庫には日下圭介の本が2冊か3冊か埋もれているはずだ。

*2:このシリーズ名は、最終話「コンヴェルサシオンがなくならない」が掲載された「小説すばる」2015年4月号で用いられたものだが、それ以前には見た記憶がない。シリーズ名がないのは不便だとずっと思っていたところだ。

2015年2月に読んだ本6冊(うち小説2冊/マンガ2冊)

地獄のリラックス温泉 1 (BUNCH COMICS)

地獄のリラックス温泉 1 (BUNCH COMICS)

ホット・ロック (角川文庫)

ホット・ロック (角川文庫)

イスラム国の正体 (朝日新書)

イスラム国の正体 (朝日新書)

ジェゼベルの死 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-2)

ジェゼベルの死 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-2)

お姉さんの食卓 (リュウコミックス)

お姉さんの食卓 (リュウコミックス)

1月には18冊読んだのに、2月はその3分の1しか読めなかった。日数が3日少ないとはいえ、これは低調すぎる。
月の前半は猛烈な残業、後半は猛烈な発熱、と読書にはあまり向かない状況だったので、やむを得ないことではあるのだけれど。
しかし、このわずかな冊数のなかで『ホットロック』という傑作を読んでいる。『ジェゼベルの死』も傑作だが、こちらは再読なので、傑作だと知りつつ読んだ。『ホットロック』のほうは、世評は高いものの、好みにあうかどうか不安だったのだが、杞憂だった。いい小説に巡り合えてよかった。

固定観念に楔を打ち込まれた話

「イスラーム国」の表記について - 中東・イスラーム学の風姿花伝はてなブックマーク - 「イスラーム国」の表記について - 中東・イスラーム学の風姿花伝のいくつかのコメントに見られる意見の対立について考えているときに、こんな記事を読んだ。

湯川遥菜さん他一名がイスラム国(武力による現状の変更を支持するのでこの名称を用います)に殺害された結果、日本人が皆イスラム国の機関誌 DABIQ を読むようになりました。

イスラム国」ないし「イスラーム国」の呼称問題が頭にあったので、最初は括弧の中に目が行ってしまい読み逃したのだが、再度読み返してみると「湯川遥菜さん他一名」という言い回しの含蓄に気がついた。
最近の報道を見聞きするうちに、いつの間にか「後藤健二さん他一名が殺害された事件」というふうに認識するようになっていたことに気づかされたのだ。
これはつまり……と続く話はありません。これだけ。

2015年1月に読んだ本18冊(うち小説11冊/マンガ6冊)

鑑識女子の葉山さん 1 (ゼノンコミックス)

鑑識女子の葉山さん 1 (ゼノンコミックス)

赤い右手 (創元推理文庫)

赤い右手 (創元推理文庫)

財政危機の深層 増税・年金・赤字国債を問う (NHK出版新書)

財政危機の深層 増税・年金・赤字国債を問う (NHK出版新書)

砂男/クレスペル顧問官 (光文社古典新訳文庫)

砂男/クレスペル顧問官 (光文社古典新訳文庫)

愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)

愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)

旧校舎は茜色の迷宮 (講談社ノベルス)

旧校舎は茜色の迷宮 (講談社ノベルス)

扉は閉ざされたまま (祥伝社文庫)

扉は閉ざされたまま (祥伝社文庫)

恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)

恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)

ワン・モア (角川文庫)

ワン・モア (角川文庫)

去年1年間、毎月読んだ本をこの日記に書き留めていた。せめて感想でも書いていれば参考になるかもしれないが、ただ「こんな本を読みました」では他人にとっては全く無益だろう。ほぼ純粋に私的な備忘録としての意味合いしか持っていない。
年が明けたのでもうやめようかとも思ったのだが、毎月1回必ず日記を更新する契機にもなるので、やはり続けることにした。今年は読んだ本の総数のほか、小説とマンガの内数も見出しに掲げることにした。こうすれば後で集計するのが楽になる。
さて、1月は予想以上に小説を読んでいて驚いた。11冊のうち『扉は閉ざされたまま』は再読*1だが、他はすべて初読だ。また、獅子文六、ロジャーズ、ホフマン、マンシェット、明利英司、井上真偽、桜木紫乃の7人の小説家の本を読むのはこれが初めてだ。年始に立てた目標に従い、意図的にこれまで読んだことがない小説家の作品を選んで読んだ結果だ。この調子だとすぐに目標を達成してしまいそうだ。
今月は過去に1作か2作読んだことがある作家に目を向けることにしようかと思っている。ただ、仕事の都合で読書の時間がかなり減る見込みなので、先月ほどは読めないだろう。せめて5冊くらいは読みたいものだが、さて……?

*1:ただし、初読はノベルス版だった。