『東西ミステリーベスト100』発表年代別作品数


  • 使用データは東西ミステリーベスト100 - Wikipediaに掲載されていたものであり、元データとは異なる可能性があります。
  • 年代区分は旧版(1985)を基準として10年ごととしていますが、黄金時代以前は19世紀と20世紀初頭をそれぞれまとめて2区分としました。
  • この表とグラフをもとに、何か考察してみようと思っていたのですが、面倒になったのでやめます。

今年の目標

ここ数年、元日にその年の目標を立てることにしている。ただし、読書に関する目標に限る。なので、この記事のタグも「読書」にすればいいのだが、毎年「雑文」にしているので、今年もそうすることにした。
さて、去年の目標はこういうものだった。

  1. 連城三紀彦の小説を5冊以上読む。
  2. 海外ミステリを20冊以上読む。
  3. 小説でもマンガでもない本を10冊以上読む。

第1の目標は早くも3月に達成し、第2の目標は確か11月に達成した。第3の目標は(当初これがいちばん簡単だと思ったのだが)12月中旬にようやく達成した。小説ばかり集中して読んで、昨年は結局106冊も読んだので、その他の本があまり読めなかったのだ。
ともあれ、すべての目標が達成できる見込みが立った11月末くらいから、来年の目標をどうするか、ということを考えていた。いつもは年始に適当に思いつきで目標を設定しているのだが、考える時間が十分にあると、その分よけいなことばかり考えてしまって、なかなか決められなくなるものだ。たとえば、こんにことを考えた。

  • 本が増えて困るので購入冊数に上限を設けるのはどうか?
  • 積ん読状態を少しでも解消するために、5年以上前に買った本のなかから○冊読む、というような目標はどうか?
  • 連城三紀彦5冊以上という目標が比較的簡単に達成できたので、苦手作家の本を中心に読むのはどうか?
  • 海外物が弱いので、国内物と交互に読むというのはどうか?
  • ミステリばかりに偏っているので、初心にかえって、たとえばSFやファンタジーを集中的に読むのはどうか?
  • 小説を控えてマンガ三昧の1年にしてしまうのはどうか?

どうもしっくりこない。「ふだんの読書傾向から少し逸れるが、あまり大きくは外れない目標」でないと、真面目に取り組む気になれず頓挫してしまうのはわかりきっている。匙加減が難しい。
いろいろ考えてみた結果、「来年(というのは今年のことだが)は長い小説を読む年にしよう」と思い立った。そこで、年末に『模倣犯』と「〈ミレニアム〉三部作」を買ってきた。なぜこの2タイトルかというと、『東西ミステリーベスト100 (文春文庫)』[新版]で取り上げられている作品のうち、国内・海外それぞれの最長作品*1だからだ。文庫版では前者は5冊、後者は6冊もある。
これで今年の目標は決まった。
長い小説(文庫版で2冊以上のもの)を10タイトル以上読む。
先の2タイトルだけで11冊、残りの8タイトルをすべて2巻本としても16冊、あわせて27冊にもあるため、今年の目標はこれ一本で行こうと思う。
なお、ほかに考えているのは、たとえば『日本沈没』『魔界転生』などで、必ずしもミステリに限ってはいない。ただ、昨日『レベッカ』[新版]を買ってきたこともあり、やはりミステリ中心になるのではないかと思う。できれば新旧「東西ミステリーベスト100」の未読本を優先的に読みたいものだ。たしか『飢餓海峡』も文庫版では上下巻だったはず。
もっとも、あまり制約をきつくすると途中で息切れするので、今タイトルを挙げた作品は『模倣犯』と「〈ミレニアム〉三部作」を除き、すべて例示であり、目標には含まないということにしておこう。
さて、読めるや読めざるや?
結果は365日後に!

*1:あとで知人から「『半七捕物帳』も巻数が多いのでは?」と指摘を受けたが、『模倣犯』と比べてどちらのほうがより長いかは調べていない。あれは短篇集なので……。

驚天動地の……

これは凄いミステリだ。どう凄いかというと、どこがどう凄いのか説明できないくらい凄い。
感想文でこういう書き方をすると、たいていは叙述トリックを使っているものだ。叙述トリックは、それが使われているということを知らせるだけで未読の人に大きなヒントを与えることになるので、一切説明できない。説明できないものを無理矢理感想文に組み込もうとすると、こういう書き方になってしまうというわけだ。
だが、『スイーツレシピで謎解きを』の凄さは、叙述トリックにあるのではない。というか、この作品には叙述トリックは……いや、これ以上踏み込むのはやめておこう。とにかく凄い、とだけ言っておこう。
久々にこの日記を更新したのに、こんな内容のない読書感想文しか書けないのは残念だが、まあ仕方がない。

『分かれ道ノストラダムス』の感想

小説推理 2015年 09 月号 [雑誌]

小説推理 2015年 09 月号 [雑誌]

小説推理 2016年 06 月号 [雑誌]

小説推理 2016年 06 月号 [雑誌]

双葉社の月刊誌「小説推理」の昨年9月号から連載開始した深緑野分の第2長篇『分かれ道ノストラダムス』が先月末に発売された6月号で完結した。連載中、「小説推理」は毎号買ってはいたものの途中で積ん読状態になっていたので、今日、連載の最初から通しで全部読んでみた。
で、読了後すぐTitterで次のように呟いた。

今日はみどりの日なので、深緑野分『分かれ道ノストラダムス』を、最初から通して全部読みました。『分かれ道ノストラダムス』の少年少女は『オーブランの少女』の少女たちや『戦場のコックたち』の少年たちと並ぶ印象深さで迫ってきます。傑作。

深緑野分の過去の作品、特に『戦場のコックたち』を読んだ人が『分かれ道ノストラダムス』を読むと、全然雰囲気が違うことに戸惑うかも。でも、世界が綻び壊れていく中で必死にもがきながら生きていく人々を描いていて、決して自暴自棄にも厭世的にもならない逞しさが、深緑野分にはあります。

「傑作」と言うのではなく、傑作であることが伝わるような感想を述べるのがいいのだが、残念ながら『分かれ道ノストラダムス』が傑作たる所以をうまく言葉にすることができない。
で、他の人の感想文や書評を参考にしてみようと思って検索してみた。
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
あ、あれ?
『分かれ道ノストラダムス』の感想がヒットしない……。
よってこの感想文はこれにて終了!
……ブウウウ…………ンン…………ンンン…………。








気を取り直して、作者自身のコメントを引いておく。

『小説推理』さんで連載中の「分かれ道ノストラダムス」という、意味不明な小説があります。最初は恋愛小説というお題のはずだったのに、なんでこんな話になっちゃったんだろうっていう。

「意味不明な小説」とはちょっとひどい言い方だが、確かに出だしから中盤にかけては雲をつかむようなところがあって、去年の年末くらいには「この小説、この先どういう方向に進むのだろう?」と首を傾げたことを思い出した。特に連載第1回では平行世界の話題が出る一方で殺人事件が起こっていたので、これはSFなのかミステリなのか皆目見当がつかなかったくらいだ。
最後まで読み終えてみると、ジャンルすら不明なカオス(混沌)の中から徐々にコスモス(秩序)が立ち現れてくるという趣向もあったのではないかと思われるので、先に引用した「意味不明な小説」というフレーズは一種の韜晦ではないかと疑ってみたくもなる。作者本人が言ったことだからと言ってあまり信用しないほうがいいのだろう。
さて、もし『分かれ道ノストラダムス』に「カオスからコスモスへ」という狙いがあるのだとすれば、未読の人に対して「結局、この小説はどういうジャンルに属するのか?」ということを明かすのは好ましくないだろう。これはSFだったのか、ミステリだったのか、それとも別のジャンル小説か、非ジャンル小説なのか……何も言わないことにしよう。
ただ、この小説が青春小説の要素を多く含んでいるということは、言ってしまっても差し支えないだろう。この小説の主人公は間もなく16歳の誕生日を迎える少女であり、彼女が中学生の頃に思いを寄せていた少年の三回忌から物語が始まるのだから。
「青春小説としての『分かれ道ノストラダムス』」という切り口なら、この小説の属するジャンルに触れずに感想を述べることも出来るのではないか、と一瞬思ったのだが、よく考えてみればそれは「青春小説としての『時をかける少女』」や「青春小説としての『タイム・リープ』」について語るのと同じくらい難しいことに気づいた。
よってこの感想文はやっぱりこれにて終了!

読み初め

今年の読書は『真実の10メートル手前』から始める予定だったのだが、ついふらふらとマンガに流れてしまった。後悔はしていない。
年末に知人に勧められて買った本で、作者についても作品についても全く予備知識なしに読み始めた。
SF、ファンタジー系のショートコミック集だが、それぞれ「Part A」と「Part B」がセットになっているという独特の構成になっている。一話限りではなくすべてがそうなっている作品集というのは初めて読んだ。マンガだけではなく小説でも読んだ記憶はない。
この種のアイディアストーリーの非シリーズ作品集は一作一作の考案が大変で、だんだんアイディアが枯渇して面白くなくなることが多い。あるいは、読者が作風に慣れて新味を感じなくなる結果、面白くなくなるのかもしれないが、いずれにせよ高水準を保ったまま続けていくのは至難のわざだ。この本は1巻だから続巻もあるのだろうが、どこまで粘れるものか注視したい。
あと、もう一つ附記しておく。非シリーズの「奇妙な話」の作品集では、変化をつけるために後味の悪いもの、ダークな読み味のものを織り交ぜるのがふつうだが、この本は比較的からっとした明るいエピソードが多く、しかも一本調子ではないことが気に入った。厭な話も悪くはないが、新年早々読むにはこういう本のほうがいい。
今年は幸先のいい読書生活のスタートとなった。まずはめでたいことだ。

だんだん読めなくなる

新しい年の始めに今年の目標を立てようと思う。
その前に去年の目標がなんだったか振り返ってみよう。なにぶん1年前に立てた目標だから、当時の記録を読み返さないと覚えていないのだ。いやいや、それではいけないのだけれど……。
去年の目標は次のとおり。

  1. 小説を50冊程度読む。
  2. これまでに読んだことのない小説家の本を10冊以上読む。

このうち、2番目の目標は早くも3月には達成していたのだが、その後、急激に読書環境が悪化し、全然本が読めなくなった。たとえば、12月には小説2冊とマンガ1冊、合計3冊しか読んでいない。
そういった状況なので、さすがに小説50冊は無理だっただろうと思ったのだが、さっき集計してみると年間で小説を56冊読んでいることがわかった。対してマンガは26冊で、その他の本をあわせた合計は93冊。一昨年は126冊読んだので大幅減だが、それでも年始の目標は達成していることになる。
ちなみに四半期別にみると、39冊、18冊、26冊、10冊となっている。10月から12月にかけて10冊しか読んでいないのはいったい何があったのか? 昔のことはよく覚えていないのだが、確か9月のシルバーウィークのあたりに体調を崩して5日間寝て過ごしたのを皮切りに10月、11月も体調がすぐれず、本を読む気がわかなかったことは覚えている。毎年楽しみにしているハロウィンパーティーにも行けなかったしなぁ。いや、でも12月にはすっかり復調していたはず。なのに、なぜ本が読めなかったのだろう?
……と、ここまで考えて、11月中旬から12月上旬にかけて本が読めない事情があったことを思い出した。その頃に携わっていた仕事の関係で読書時間が極端に削られていたうえに、文章を目にするとゲシュタルト崩壊が生じるほどだったのだ。
そうこうするうちに年末を迎え、12月中旬以降は何もかもが忙しくなって、本が読めなくなっていた。毎月買っては積んでいた「小説推理」掲載の『分かれ道ノストラダムス』(深緑野分)をようやく連載第6回まで読み通したのは大晦日、すなわち昨日のことだ。なお、これはまだ完結していないし、1冊の本にまとまっていないので上記の冊数には含めていません。
閑話休題
今年の目標をどうするか?
あまり深く考えても仕方がない。こうしよう。

  1. 連城三紀彦の小説を5冊以上読む。
  2. 海外ミステリを20冊以上読む。
  3. 小説でもマンガでもない本を10冊以上読む。

この3つにしよう。互いに排他的な目標なので、最低35冊読む必要がある。
連城三紀彦は読んどかなきゃいけないよなぁ、と思って再刊・文庫化の折に買って積んである本が確か5冊くらいあったはずなので、目標を5冊にした。海外ミステリは昨年13冊読んでいるから再読も含めていいなら20冊という目標はさほど無理はないだろう。小説でもマンガでもない本というのは主に教養系新書になると思うが、こういった本も読んでおきたい。
というわけで、今年はこれらの目標に向かって邁進します。まず第1歩は昨年読めなかった『真実の10メートル手前』から! ……あ、目標と関係ないや。

まだ生きている

1年の終わりに何か総括めいたことを書こうと思ったのだが、いろいろ忙しくて考えがまとまらない。
この日記も放置状態が続いているので、見ている人も少ないとは思うが、もし「最近、更新が止まっているけど大丈夫かなぁ」と心配してくれる奇特な方がいるなら、Twitterを覗いていただきたい。だいたい毎日更新しています。アカウントはaNmiNreNtaNです、よろしく。
それでは皆さんご機嫌よう。よいお年を。

まだ死んでいる (Hayakawa pocket mystery books)

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まだ死んでいる (光文社文庫)

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