無伴奏ソナタ、あるいは二手のための文章即興曲

はじめに

以下の文章は連想の趣くまま記憶のみに頼って書いたものであり、事実確認は一切行っていません。記憶違いによる事実誤認が散見されるものと思われますが、御容赦ください。

本文

子供の頃、オーソン・スコット・カードの『無伴奏ソナタ』がハヤカワ文庫から出た。新聞広告に出ていて、タイトルに惹かれて買った。これは短篇集で、中には後に長篇化される「エンダーのゲーム」なども含まれていたが、やはり表題作が印象に残っている。
無伴奏ソナタ」の舞台は未来の管理社会で、主人公は生後間もない頃に音楽の才能を発見され、隔離されて育つ。隔離の理由は、世に満ち溢れる音楽に感化されずにオリジナルの音楽を提供するためだ。彼は過去の音楽を聴くことなく成長し、社会に全く独自の音楽を提供しつづける。ところが、そこに一人の人物が現れ、バッハの音楽が録音されたテープを彼に聴かせる。彼は初めて聴くバッハの音楽に感服し、その影響は彼の演奏にもあらわれる。そして、彼はオリジナリティを失った音楽家として追放される。
無伴奏ソナタ」がどのような結末を迎えるのだったか、今となってはもう思い出せない。ただ、主人公がバッハを聴く場面だけが印象に残っている。そこで彼が聴かされるのはバッハのオルガン曲で、ヴァイオリン曲ではなかったはずだ。しかし、カードの念頭に「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」があったことは疑い得ない。
無伴奏曲というのはもちろん独奏曲だ。だが、独奏曲のすべてが無伴奏曲と呼ばれるわけではない。ピアノやギターのように単独で和音が出て、他の楽器の伴奏にも使える楽器のための独奏曲は、通常無伴奏曲とは呼ばれない。バッハの時代には現代のピアノもギターもなかったが、オルガンやチェンバロリュートは存在した。これらの楽器のためにバッハが作曲した膨大な数の独奏曲を除くと、あと三種類の独奏曲が残る。

ソナタは古典派以降も数多く作曲されているが、クラシックのソナタが概して第1楽章にソナタ形式の楽曲を配する3楽章または4楽章の組曲という意味であるのに対し、バロックソナタは単に器楽曲という程度の限定しかない。従って、「無伴奏チェロ組曲」も「無伴奏フルートのためのパルティータ」も広義のソナタに属する。当然、「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」もソナタだ。だから、

といっても差し支えないし、こう表現したほうが「無伴奏チェロ組曲」全6曲と対になる作品群であることが見て取りやすいかもしれない。ちなみにクラヴィーアのための「イギリス組曲」「フランス組曲」も全6曲だ。バロック期には同種の音楽を6曲ないし12曲セットにする習慣があったらしい。
さて、広義の「無伴奏ヴァイオリンソナタ」の中には3曲の(狭義の)ソナタと3曲のパルティータが含まれる。3曲のパルティータの中の第2番は長大な終曲シャコンヌ――実にこのシャコンヌだけでパルティータ第2番のおよそ半分を占める――で知られている。シャコンヌというのは舞曲の一種だが、一定の和声に基づき変奏が行われるので、変奏曲の一種ともいえる。似た曲種にパッサカリアやフォリア、ファンダンゴなどがある。
バッハのシャコンヌはおそらくそれに先立つビーバーの「ロザリオのソナタ」終曲のパッサカリア――これも無伴奏ヴァイオリン曲だ――に触発されたものだと思われるが、規模も音楽的内容も格段に進化している。ただ一挺のヴァイオリンのみを用いて、少し大げさにいえば宇宙全体をも飲み込むような壮大な音の大伽藍が築かれるのだ。人類がつくりあげた文化的創作物の中でも特に素晴らしいものの一つと言えよう。
しかし、この大伽藍は、どうやら後世の人には欠陥建築のように見えたらしい。楽譜を見て「これは伴奏パートが散逸した不完全なヴァイオリンソナタだ」と思った人もいたとか。何だか笑い話のようだ。このような誤解に基づくものではなかったろうが、無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌに「あり得べき伴奏」を空想し、実際に伴奏パートを「補作」した人も何人かいるらしい。その中で最も有名なのはシューマンで、彼はシャコンヌを含む「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲にピアノ伴奏をつけた。これはCDも出ているので試しに聴いてみたのだが、大変エグい音楽だった。
シャコンヌの編曲はブラームスも試みている。ただし、ブラームスの編曲は「ピアノ伴奏付き無伴奏」などというものではなく、単なるピアノ編曲だ。それも、両手を使うとヴァイオリン一挺に比べると表現力過多になると思ったのか、左手のみを使って演奏するようにアレンジされている。もとがヴァイオリン曲なのだから右手用のほうがよかったのではないかという気もしないではないが、編曲の動機が右手の怪我で左手しか使えなくなった人のためだそうなので、それなら納得できる。ちなみにブラームスが「左手のための無伴奏」を捧げた人物はクララ・シューマンだった。クララを巡る二人の作曲家の関係もなかなか面白いのだが、先を急ぐので割愛する。
無伴奏」とりわけシャコンヌは多くの人に編曲されているが、編曲とは違った仕方でこの曲を改変(?)した例もある。19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した音楽学シュヴァイツァーが改変者だ。彼は「無伴奏」の楽譜に四重和音が登場することに着目した。ヴァイオリンには4本の弦があるので同時に4つの異なる音を出すことは不可能ではない。だが、4本の弦は湾曲した面上に張られているので、基本的に直線で構成された弓では同時に2つの弦に接することができるのみ。よって、楽譜上の四重和音は実際には分散和音として演奏されることになる。だが、天才シュヴァイツァー先生はこう考えた。「これ、楽譜通りに弾けんかね?」と。そして発明したのが、「無伴奏」専用の湾曲した弓――バッハ弓とかシュヴァイツァー弓などと呼ばれる――だった。シュヴァイツァー自身はヴァイオリニストではなくオルガニストだったので実演はしなかったが、後にこの湾曲弓を使って実際に「無伴奏」全曲を演奏した人がいて、これもCDが出ていたので聴いたが……やはりエグかった。ヴァイオリンがまるでオルガンのように朗々と和音を響かせるのだ。
シュヴァイツァーといえば、子供の頃に読んだ彼の伝記のことを思い出す。今ではどうか知らないが、かつて小学校の図書室には「世界の偉人」というようにシリーズがあって、エジソンキュリー夫人野口英世と並んでシュヴァイツァーは常連の一人だった。個人的には野口英世を入れるくらいなら北里柴三郎のほうがいいのではないかと思うが、それはまた別の話。
シュヴァイツァーの伝記によれば、彼は菜食主義者だった。なんで菜食主義者になったのかといえば、子供の頃の経験がもとだという。彼は裕福な家に育ったが相当な腕白小僧(死語)だったようで、しょっちゅう同年代の子供と喧嘩ばかりしていたらしい。ある時、喧嘩に負けた相手が「ふん、お前は金持ちで肉をたらふく食ってるから腕っ節が強いんだけなんだ。俺も肉さえ食えればお前なんかに力勝負で負けることはなかったのに」と負け惜しみを言った。これを聞いたシュヴァイツァー少年は大いに恥じることがあったのか、その日以来一生肉を食わなかったという。
なんだか眉唾な話だ。肉を食わずに90歳を越えるまで長生きできるとは思えないのだが。でも、伝記にはそう書いてあったのだから仕方がない。まあ、一生一度も肉を食わなかったというのは誇張かもしれないが、喧嘩相手が貧乏で肉を食えないから自分も肉を食わないという発想は、ヴァイオリンの弦の配置にあわせて弓も曲げてしまうという発想に通じるのではないか。
さて、シュヴァイツァーの話はこれくらいにしておこう。「無伴奏」関連ではブゾーニとかストコフスキーレオンハルトなど大物がいっぱいいるが、全部端折って最後にウィトゲンシュタインを取り上げる。彼はウィーンの大富豪の家に生まれ、幼少の頃から多くの芸術家と交流があり、長じてピアニストとなった。ブラームスとも面識があったようだ。ウィトゲンシュタインには3人の兄と1人の弟がいたが、兄は3人とも自殺した。弟も自殺衝動に悩まされたが結局ガンで死んだ。本人の死因は知らないが、たぶん自殺ではなかったろう。
ウィトゲンシュタインが名ピアニストであったかどうかはともかく、彼の名は隻腕のピアニストとして音楽史に確かに刻み込まれている。第1次世界大戦で負傷して右腕を切り落とし、戦後左手一本でコンサート活動を行った不屈の闘志だ。彼はさまざまな作曲家に左手のためのピアノ曲を委嘱したが、それとは別に自分でも編曲を行っている。そのうちの一つがシャコンヌで、ブラームスが編曲したものの再編曲であるらしい。音源は残されているようだが、まだ聴いたことはない。たぶんさほどエグくはないと思うのだが。
なお、ウィトゲンシュタインは第2次世界大戦前に活躍したピアニストで、当時の日本語の音訳の慣習に従い「ヴィットゲンシュタイン」と表記することも多いが、ここでは彼の弟の名の表記として現在最も一般的と思われる「ウィトゲンシュタイン」にあわせた。彼の弟の書いた文章の中によく「アメリカにいる私の兄」として登場する。

おわりに

書き終えてからあちこち検索して調べてみると、当初予想したとおり間違いや誇張、ニュアンスのずれなどがかなり多いが、はじめに書いたとおり訂正はしない。