人間の心は心理的に記述できるか?
- NaokiTakahashiの日記 - 人間の知性や感情は全て物理現象である
- 暗闇の海底でみる夢〜哲学の断想集〜 - 人間の知性や感情は全て物理現象である(NaokiTakahashiの日記)に言及
- NaokiTakahashiの日記 - 人間の心は物理的に記述できるか?
あまり心身問題には詳しくないので無知を晒すことになるかもしれないが、ちょっと思いついたことをコメントする。
ある心が物理的に記述できるためには、少なくともその心が心理的に記述できなくてはならない。でなければ、「これが、その心の物理的記述だ!」といって何らかの記述が提示されたときに、果たしてそれが本当にその心の記述であるのかどうか判定することができないからだ。その記述はもしかしたら記述者が想定しているのとは別の心の記述かもしれないし、実はいかなる心の記述でもないかもしれない。事の次第を確かめるには、提示された物理的記述とは独立に、その心の心理的記述を予め入手しておかなければならないだろう。そして、手持ちの心理的記述と提示された物理的記述を突合し、不一致がなければ、そこではじめて「この物理的記述は確かにその心の記述だ」と宣言することができるのだ。
だが、これは非常に難問だ。ある心について「怒っている」と心理的記述を行い、同時に提示された「心拍数が上がっている」という物理的記述*1と突き合わせればよし、というようなレベルの話なら簡単だが、今話題になっているのはそのような一般的な記述の話ではなくて、特定のその心についての完全な記述なのだから。そのような心理的記述は少なくとも現在の心理学のレベルでは到底不可能だし、今後可能になるかどうかも不明だ。
というわけで、仮に唯物論を全面的に受け入れて、心は物理的基盤と素材のみからなると主張できたとしても、そこから、原理的に心は物理的記述が可能だという結論が導かれるわけではない。なぜなら、唯物論の考えには、原理的に心は心理的記述が可能だという主張は含まれていないからだ。
*1:生理的記述というほうが適切だが、これも広い意味での物理的記述に含まれるものと考えることにしよう。