中3子供の頃の問題

米澤穂信の〈古典部〉シリーズ隔月連載最終回『あきましておめでとう』が掲載されている。
このシリーズ連載は第1回の『心あたりのある者は』二つのアンソロジーに収録されるという快挙を成し遂げ、さらに第六十回日本推理作家協会賞候補にもなっている。『心あたりのある者は』は端正なパズラーで、「米澤穂信は青春小説としては評価できるけど、ミステリ色は薄いのでちょっと……」という人にもお薦めの良作だ。しかし、一生に一度の協会賞*1に値する作品かどうかという点については若干の疑問がある。詳しく説明すると長くなるので端折っていえば、某有名ミステリの趣向をまねた擬古典様式の作品であり、また現在の米澤穂信の到達点を示すものとは言い難いことが、その理由だ。だが、そんなことはここでとやかく言うことでもない。明後日の本選考に注目することにしよう。
閑話休題
今回の『あきましておめでとう』は、率直に言って変なタイトルだ。「飽きましておめでとう」という意味かと思ったので余計変に感じたのかもしれないが、本当の意味がわかってもやっぱり少し変なタイトルだと思う。『失礼、お見苦しいところを』ほどではないがインパクトのあるタイトルなので、これはこれでいいのかもしれないが。うん、この微妙なずれが米澤テイストなのだろう。
「米澤テイスト」というのは一言では説明できないし、百万言費やしてもたぶん説明できないだろう。いや、もしかしたらできるかもしれないが、そんなに手間をかけたくはない。かわりに冒頭の一節を引用してみよう。

俗信に、越年の際にやっていたことは一年間繰り返すことになる、というものがある。幼き頃、高校受験を控えていた俺は、その伝説に恐怖して大晦日だけは勉強の手を休めたものだった。遠い日の記憶……。いや、そうでもないな。去年のことだ。

高校1年生の折木奉太郎が発する冒頭のことばが「俗信」だったり、中学3年の頃を回想して*2「幼き頃」と表現したりするあたりが米澤テイストだ。作者名を伏せても米澤ファンなら一目でわかるはず。微妙なずれがくすぐりとなり、それが積み重なってユーモアとなる。そして、ユーモアの陰から寒々として荒涼たる心象風景が立ち現れてきて閉塞感が漂うのが米澤穂信の十八番だが、「あきましておめでとう」では寒々としているのは気候だけ、閉塞しているのは物理的状況だけで、お話そのものの雰囲気は終始コミカルで後味も悪くない。ただ、ラブコメにありがちなシチュエーションを用意しておきながら、嬉し恥ずかしいやーんあはーんな展開には決してならないのが、この作者らしい。
「ほろ苦い青春を描いてこそ米澤穂信なのに何たることか! 失望がないなんて失望した」と憤慨する向きもあるだろうが、そのような一部の特殊な偏向米澤ファン以外には十分に楽しめるのではないかと思う。〈古典部〉シリーズの短篇のうちでは、いちばんの出来映えかと。

*1:規約が変われば再受賞のチャンスもあるかもしれないが、現行の制度では一回協会賞を受賞した人はその後どんなに優れた作品を発表しても二度と受賞できないことになっている。

*2:ところで、元日に大晦日のことを回想しているのだから、去年ではなくて一昨年ではないだろうか?