現代ミステリに必要な、たった一つの冴えたルール

あらゆる文芸ジャンルの中でミステリのみに課せられたルールが「フェアプレイ」だ。このミステリ独特のルールに十分な理解をもたない人や、関心のない人が世の中には大勢いて、そのような人でもミステリを読んで楽しめることがあるらしい。それはミステリがマニアの独占物ではなく広く一般読者に受け入れられているということを示しており、まことに結構なことだ。そんな人は興味のないフェアプレイ談義などにつきあって時間を無駄にせず、粛々とミステリを読むほうがいい。そうでない人だけ続きを読んでください。
ここから本題。
ノックスの十戒にしてもヴァン・ダインの二十則にしても、現代ミステリにそのまま適用されるものでない*1ことは言うまでもない。とはいえ、全くとるに足らない戯言というわけでもない。長い年月を越えて現代に伝えられた箴言には何らかの真実が含まれているはずだ。だが、その「何らかの真実」をうまく引っ張り出して明文化するのは極めて困難な作業だ。それが簡単にできるのなら、とうの昔に原典の十戒・二十則を駆逐して、ミステリの至上のルールとして流布していただろう。
さて、sirouto2氏が十戒から選び出したのは第8項、二十則から選び出したのは第15項だ。ただし、どちらも簡略化されている。

読者の知らない手がかりによって解決してはいけない。
事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。

私見では、このルール*2には2つの難点がある。
まず第1点。sirouto2氏のルールは「地の文で偽の記述をしてはいけない」というルールを包含しているとsirouto2氏は考えるが、そのような包含関係は認めがたい。解決に必要な手がかりを提示しつつ、地の文で偽の記述を行うことは十分に可能だ。たとえば、犯人が女性であることがわかっており、登場人物の各々の性別が事件の謎を解く重要な手がかりであるとき、次のような記述を地の文で行ったらどうか。

かの中二病の魔王は男性だ。だから彼女はこの事件の犯人ではない。

ここでは、ひとつめの文で嘘をついておいて、ふたつめの文の「彼女」で魔王が女性であることを読者に知らせている。もちろん、この手がかりは前置された文によって実質的に無効化されてはいるが、明白に記述された読者が知っている手がかりだから、sirouto2氏のルールには名目上は抵触しない。sirouto2氏のルールに「地の文で矛盾した記述をしてはならない」という補助ルールを追加すれば「地の文で偽の記述をしてはいけない」というルールが導き出せるので、このような叙述トリック(?)を封じることができるが、それなら最初から「地の文で偽の記述をしてはいけない」というルールを別に立てておいたほうが簡明だ。
第2点。sirouto2氏のルールでは、読者が手がかりを知る時点について触れられていない。たとえば非常に重要な手がかりを最後の最後まで伏せておいて、すべての解決が終わるその瞬間にはじめて明らかにする、という極めてアンフェアなミステリでも字面の上ではsirouto2氏のルールにかなうことになる。これは非常に瑣末な反例で、文言を省略したことで発生した穴をあげつらっているだけのように思われるかもしれないが、実は見かけほど瑣末ではない。そのことを説明するために、元のヴァン・ダインの二十則の第15項を見てみよう。

15. The truth of the problem must at all times be apparent — provided the reader is shrewd enough to see it. By this I mean that if the reader, after learning the explanation for the crime, should reread the book, he would see that the solution had, in a sense, been staring him in the face-that all the clues really pointed to the culprit — and that, if he had been as clever as the detective, he could have solved the mystery himself without going on to the final chapter. That the clever reader does often thus solve the problem goes without saying.

よ、読めない……。英語がからっきし駄目なのを忘れていた。日本語訳を探そう。

  1. 問題の答えは始めから終わりまで明白でなければならない―読者がそれを見破ることができるくらい鋭敏である必要はある。このことは、もし読者が犯罪の真相を知った後に本を読み返してみた場合に、その解答が、ある意味では読者の目の前に転がっていたこと―すべての手がかりが事実上犯人を指していたこと―や、もしも読者が探偵と同じくらい頭が良ければ、最終章へ至る前に彼自身の手で謎を解決できたと悟ることを意味する。賢明な読者はよく、解決を言われる前に問題を解くものだ。

すべての手がかりは最終章へ至る前に提示されていなければならない。だが、「最終章」という言葉を文字通りに受け止めてはいけない。最終章に書かれているのが後日談にすぎず、解決場面が最終章の一つ前の章であることもあり得るからだ。その場合、手がかりは最終章の二つ前の章までに提示されなければならない。要するに、解決が始まる前に必要な手がかりが出そろっていなければならない。
ここまでは異存がないものと思う。あったら困る。ないことにしよう。
さて、問題はここからだ。名探偵が解決を始める前に、事件の真相を推理するに足る手がかりがすべて出そろっていたとしよう。読者はそこで本を閉じ、沈思黙考、謎ときを試みればいい。だが、考えている最中に「待てよ、いま本を閉じたところで本当に手がかりが出尽くしているのか? まだこの先に新しい手がかりがあるのだとしたら、今推理をまとめ上げるわけにはいかない」という疑念を抱くかもしれない。形式論理学の世界では、前提AとBからCが帰結するなら、AとBに別の前提Dを追加しても同じくCが帰結する*3ので、このような疑念を抱く余地はない。しかし、ミステリにおける「論理」とは形式論理学におけるそれに尽きるものではない。ミステリにおける「論理」の特徴をいちいち説明することはできないが、前提の追加によって結論が変わらないという保証が一般には与えられていないということは強調しておきたい。
読者の疑念に応えるために、作者は作中のどこかの段階で、推理の道筋を左右するような重要な手がかりがこれ以上追加されることがないという保証を個別に与えなければならない。「読者への挑戦状」を挿入すればいちばんわかりやすいが、要するに読者が「そろそろ解決が始まるな」と察することができれば別の方法でも構わない。いずれにせよ、そのようなミステリは明確に分離された2つの部分――問題篇と解決篇――から構成されることになるだろう。
では、問題篇と解決篇が明確に分離しておらず、探偵役の捜査によって徐々にデータが集まり、事件の全体像が次第に明らかになっていくというタイプのミステリはどうなるのか。そのようなミステリでも、真相を語る探偵役の口からいきなりそれまで全然知らなかった手がかりが発せられるのでなければsirouto2氏のルールに違反することにはならないと思われるが、今みたようにsirouto2氏のルールを敷衍して明確化するとアンフェアだという判定を受けることになりかねない。従って、sirouto2氏のルールはそのままの形では穴があり、穴埋めしようとすると埋めてはいけないものまで埋め込んでしまう恐れがある。
第1の難点のほうはルールを1つに絞ることに拘りさえしなければ簡単に解決できるが、第2の難点はより解決が困難であり、いったいどのように定式化すればいいのか見当がつかない。
この文章の見出しが「現代ミステリに必要な、たった一つの冴えたルール」なので、何か冴えたルールが提示されているものと期待した人には申し訳ないが、そんなものはここにはない。ごめん。

追記

上の文章を3時間くらいかけて一所懸命書いてアップしたところで「ふう」と一息ついて日記を見直してみるとここからリンクされていた。これはシンクロニシティというものだろうか。
せっかくだから何かツッコミを入れてみようかと思ったのだが珍しくツッコミどころがない*4ので困った。あー、でもひとつだけ。

 ただ、その「ルール」のウェイトが、本格ではほかのジャンルより重いのです。ほかのジャンルなら1点減点で済むところが、20点減点くらいになるというところでしょうか。

ここでいきなり「本格」というタームが出てくるのだが、一般にミステリでは他のジャンルより無矛盾性が重視されるので、ここで「本格」などという紛糾を招く言葉を使う必要はないと思う。というか、どんな場面なら紛糾することを覚悟のうえで「本格」という言葉を使う必要があるのかがわからない。例の「X論争」でみんな懲り懲りになったと思うのだけど。

*1:たぶん、それらが発表された当時のミステリにとっても金科玉条の類ではなかっただろう。当時の人々が十戒や二十則をどう受け止めていたのかをはっきりと示す資料を持っていないので確かなことは言えないけれど。

*2:細かな文言の違いを別にすれば、これらは実質的に同じルールなので区別せずに1つのルールとみなし、便宜上ここでは「sirouto2氏のルール」と呼ぶことにする。

*3:手がかりAとBから解決Cを推理できるなら、そこにいかなる手がかりDが追加されようとも解決Cは揺るがない。

*4:ガンダムは最初のテレビシリーズとその映画しか見ていないのでたとえ自体がよくわからない。