限りなくスパムに近いトラックバック

「一本足の蛸」では芸能・スポーツ関係の話題はほとんど扱わないが、たまに何かの弾みで芸能人の名前に言及したりすると、わけのわからないウェブサイトからトラックバックがどんどん飛んできて閉口することがある。どう考えたっ、生身の人間がやっていることとは思えないので、そんなトラックバックは見つけ次第削除している。
で、先ほどメールチェックをしたら、トラックバック通知が2件来ていて、「またスパムかよ」と思って消そうと思ったのだが、トラックバックを送ってきたページを見て気が変わった。

や、「形式論理学」が「旬なキーワード」?
単にテンプレートに適当なキーワードをぶち込んだだけなのだが、妙にいい味を出してしまっている。
ついでなので、そのリンク先から面白そうな文章をいくつか紹介してみよう。特にコメントはしないが。

 私は、この休日を利用して、ウィスキーをラッパ呑みしながら、論理学の教科書等を睨み続けていた。正確にいうと、論理学の教科書に載っている問題を解いていた。結論から先にいえば、論理学をやるのならば、数学をやる方が断然にいい。なぜならば、真の論理学とは数学のことであるからである。いわゆる論理学は、似非論理である。たとえば、三段論法はAならばB、BならばC、したがってAならばCのことであるが、これは論理学の教科書等にも載っているように、前提がおかしければ結論もおかしくなるという欠陥論理である。よって、似非論理なのである。

資本主義社会というのは、カルヴァンの言った予定説。プロテスタンティズムの精神を必要とします。そして初期ギリシャアリストテレス形式論理学を必要とします。この両輪が資本主義を駆動させました。日本人には予定説の神もいませんし、アリストテレス的な論理的な思考も未だ根付いていません。だからこの国の資本主義は根本の所で決定的に足りないものがあります。

正しい(真)命題がいつまでも正しい(真)かどうかで、実はそれは形式論理の範囲で考えているのか、弁証法論理の範囲で考えているのかが決まってくる。形式論理の範囲で正しい(真)と認めた命題は、それはいつまでも正しい(真)命題として存在させなければならない。正しい(真)命題が、どこかで間違った(偽)命題になってはいけないのである。それが形式論理的思考だ。

いちばん下の記事ははてなダイアリーなので、自動トラックバックがとんでいくと、それ自体が「限りなくスパムに近いトラックバック」になるのではないかという気がしたが、自動トラックバック設定を解除するのも面倒なので、そのまま送信してしまうことにしよう。