限界集落繋がりで

生まれたときからあちこちを転々として育ってきた人には、山村に生まれ育って半世紀以上同じところに住み続けてきた人の土地に対する思い入れは体感できないだろう。住居は代替可能であり金銭的に補償可能であるという考えの人は、公費を投じて過疎地の住環境を守ろうとする発想にはついていけないだろう。このディスコミュニケーションは如何ともしがたい。
今はまだ、山村に生まれ育って就職の際に都会に移り住んだ世代が一定の発言力を持っていて、ある意味、かすがいになっているが、いずれ生まれながらの流浪の民が日本社会の中心を占めるようになれば、限界集落支援の動きなど吹っ飛んでしまうことだろう。今は過渡期に過ぎない。
だったら、せめてその間だけでも都会の分け前をほんの少しでも快く分け与えようという気にならないものだろうか?
うーん、ならないだろうなぁ。
だって、限界集落の人はわがままだ、って信じているんだから。
何がわがままで、何が当然の権利なのかを客観的合理的に判定する基準はないものだろうか。もしそれができれば、どこまでの援助が妥当で、どこから先が過剰な支援ということになるのかがはっきりするのだが。