この世で二番目に面白いライトノベル、遂に完結!

たま◇なま~キミは、何故生きている?~ (HJ文庫)

たま◇なま~キミは、何故生きている?~ (HJ文庫)

ちなみに、この世で一番面白いライトノベルこれだ。異論は認めない。
さて、『たま◇なま』は以前から何度か取り上げている*1ので、重複を避けるため最終巻の感想のみに留めておくことにしよう。
前巻の段階では、まさか次の巻でこのシリーズが終わってしまうなどとは夢にも思っていなかったが、7巻を読んでみるとそれまでの巻に結末に至る伏線が周到に張られていて、終わるべくして終わったのだということがよくわかった。この世にはまだ終わるべき時ではないのに終わってしまった不幸なライトノベルが多く、また、とっくに終わっていないといけないのに終わっていない、もっと不幸なライトノベルもいくつかある。『たま◇なま』は実に幸福なライトノベルと言えるだろう。
青臭いほど生々堂々と圧倒的な生命讃歌を歌いあげ、不安や弱さも一切誤魔化すことなく書ききっている。持っていきようによってはハーレムにもNTRにもできただろうに、そんなものには一切目もくれずにまっすぐに本道を突き進んでいて清々しい。ある意味ではメタフィクション的な要素もあるが、最近はやりの自家中毒的楽屋ネタとは全く正反対で、ライトノベルという狭い枠組みを超えているため、より普遍的で力強い。この物語は、いつまでも読者の記憶に残ることだろう。
最後に、『たま◇なま』と直接関係はないが、ウィトゲンシュタインラムジー(ラムゼイ)のエピソードを思い出したので書いておこう。空理空論で固められた壮大な論理の世界を作り上げ、「語り得ない事柄については沈黙しなければならない」と言い放ったウィトゲンシュタインに対して、ラムジーは「しかし、我々は語り得ないことを語ることはできないし、口笛で吹くこともできない」と遣り返した。ウィトゲンシュタインラムジーとの対話を通じて、自らが築いた論理の城を徐々に崩して、新しい地平へと向かっていく。『たま◇なま』7巻のタイトルと同じ章題をもつ七章「〜キミは、何故生きている〜」の、『白い鉱物』と化した『最後の使徒』と、ある人物との関係が、この二人の関係に似ているなぁ、と思った*2
最後の最後にもうひとつだけ。『たま◇なま』の主人公、氷見透の名前を見るたびに、一字違いのミステリ作家のことを思い出す*3のだが、あの人は今……?

*1:しみじみと面白くて、ときどき意表を衝かれる傑作『たま◇なま』とか大手ラノベサイトには面白いラノベを紹介する責務があるとか『たま◇なま』は最高のジュヴナイルか?とか。

*2:もっとも、その後の展開は全然違っている。ラムジーは1930年に26歳の若さで世を去り、ウィトゲンシュタインのその後の哲学の展開を知ることはなかった。

*3:逆にいえば、それ以外に思い出すことはほとんどない。