人と虎とバターと

山月記」を読みながら考えた。人が虎になるというのは、非常に稀な事象のように思われるが、「山月記」の李徴のような性格と境遇の人はかなりいるのだから、困難をものともせず虎になる人もひとりやふたりではないかもしれない。仮にそういう人が四人くらいいたとすれば、どうか。虎になっても基本的な性格は変わらないと考えられるので、行動のベースは嫉妬だろう。自分が持っていないものを誰かが持っているということに我慢ができず、たとえそれが、赤い上着だとか青いズボンだとか紫の靴だとか緑色の傘などという、正直どうでもいいものだったとしても、いてもたってもいられなくなって奪い合いを演じることになるだろう。そうすると、虎たちはもはや原型を留めることができず、どろどろに溶けて、最後にはバターになるしかない。「山月記」は「虎は、既に白く光を失つた月を仰いで、二聲三聲咆哮したかと思ふと、又、元の叢に躍り入つて、再び其の姿を見なかつた。」という、学校文法では分析しづらい印象的な一文で幕を閉じるが、案外、李徴の末路はホットケーキだったのかもしれない。