ミステリとライトノベルと老害と

最近、ライトノベルは全然読んでいないし、ミステリもたまにしか読んでいないので、ミステリとライトノベルの相性がどうこうという話題についてはついていけないのだけど、ライトノベルミステリの困難さ - 小説☆ワンダーランドとそれに対する興味深い反応を見かけたので、メモのかわりに少し書き留めておく。

そもそもミステリというジャンルそのものの宿命として、ある程度の読解スキルと注意力を読者に要求するというのがあります。これが「気軽に読み流せる」ライトノベルの魅力を大きく殺してしまっているのです。

これに対して、反論というか異論というか、否定的な意見が2件あった。

これはミステリ読み特有の視点じゃないでしょうか。「謎を解いてやろう」と意気込んでミステリを読む必要は、ほんらい全くないのです。登場人物たちが謎解きに興じるさまを眺めるだけでもミステリを読むという行為は成立するし、ライトノベルとしての読み方は。米澤作品はむしろ、そのようなガチなミステリ読みを意図的にミスリードしつつ、ライトノベルとしての体裁を崩さないことをひとつの目的として書かれているように思います。

tokoroten999

なんかいろいろひどい/昔の少女小説ブームとか赤川次郎とか/「ミステリというジャンルそのものの宿命として、ある程度の読解スキルと注意力を読者に要求するというのがあります」SF老害みたいなこと言っとるな 2012/05/09

後者の「SF老害」というのは具体的にはどういうことなのかよくわからないのだが、当然ネガティヴな意味だろう。でも、ミステリが、ある程度の読解スキルと注意力を読者に要求するというのは、「宿命」とまで言えるかどうかは別として、別に変な意見ではないと思うけどなぁ。こういう考え方は「ミステリ読み特有の視点」と言われれば確かにそうかもしれないけれど。
むしろ、ライトノベルミステリの困難さ - 小説☆ワンダーランドで気になったのは次の箇所だ。わかりやすいように強調タグをつけておいた。

一方、スニーカーミステリ倶楽部(以下スニミス)は最初から最期まで愚直なまでにストロング・スタイルを貫き通したレーベルでした。恩田陸乙一はやみねかおる西澤保彦など今となってはミステリ界の大物作家達をラノベジャンル外から多数集め、米澤穂信を発掘し、アンソロジーから書き下ろし新作まで幅広く揃えた本格的なものでした。しかし、挿画がアニメチックなものが少なく、あまりにも一般書籍志向すぎてラノベ読者からは受け入れられず暗黒へと消えていきました。

いや、これはご冗談でしょう? 新人賞に応募した米澤穂信をデビューさせたことを「発掘」と言っているのはわかるのだが、「発掘」よりもむしろ……おや、誰か来たようだ?