法令上の「個人情報」

武雄市の新図書館構想の件はなんだか怪しい方向へと進みつつあるので、もう打ち止めにしようと思っていたのだが、もし図書館の貸出履歴が個人情報でないとすれば - 一本足の蛸に次のようなコメントが付されていたので、少しだけ補足しておく。これはもう武雄市とはほとんど関係のない蛇足のようなものなので、念のため。

washita

逆に、行政の人間が「個人情報」と言うからには、当然法令上で定義された意味で用いると思うのですが… /消費者庁及び消費者委員会設置法第6条第2項第1号ホの「公益通報者」は、公益通報者保護法上の者以外の余地も? 2012/05/10

このコメントの前段については、「行政の人間が一般にどういう言葉遣いをするものなのかはわかりません」としか答えようがない。

行政の人間が「個人情報」と言うならそれは現行の(条例等を含む意味での)法令の定義に拠ったものとならざるをえず、少なくともこの点に限っては難じてもいかんともし難いように思うのですが行政に携わる皆様はいかがでしょうか。

とのことなので、この件については実際に行政に携わっている方々の意見を伺いたい。
ただ、実際にどうかではなくどうあるべきかというレベルで言うなら、いくら行政の人間でも、少なくとも行政以外の人々に向かって話しかけるときには、それなりの配慮が必要ではないかと思う*1。用語の法令上の意味と一般的な意味の間にずれがあるときに、「この人は行政の人間なのだから、当然法令上で定義された意味で用いているのだろう」と忖度できる人は少ないのだから。
次にコメントの後段について。これは、もし図書館の貸出履歴が個人情報でないとすれば - 一本足の蛸の本文ではなくて、註釈に対するものだ。

法令データ提供システムで「個人情報」という語を含む法令を検索してみると、必ずしも特定の個人を識別することができるものに明示的に限定していない場合もある。たとえば消費者庁及び消費者委員会設置法をみると、第4条第23号では個人情報の保護に関する法律に言及して「個人情報」という語を用いているが、第6条第2項第1号ハには同様の言及がないため、そこでは「個人情報」は特定の個人を識別できる情報に限られていないと解釈する余地もあるのではないかと思われる。

この註釈は、「個人情報」の前に「法令上の」という限定句をつけても、一意に意味が定まるわけではないということを示すために付したものだ。実はこの文章を書いたときには高木浩光@自宅の日記 - 「個人情報」定義の弊害、とうとう地方公共団体にまでをまだ読んでいなかった。そこでは、個人情報の保護に関する法律行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律では「個人情報」の定義が異なるという指摘がなされているので、それを読んでさえいれば、このようなわかりにくい註釈は書かなかったのだが*2
ともあれ書いてしまったものは仕方がないので、消費者庁及び消費者委員会設置法における「個人情報」という語の取り扱いについて確認しておこう。この法律では、「個人情報」という語は第4条第23号、第6条第2項第1号ヘ、同項第4号に現れるが、最後のものは「個人情報の保護に関する法律」という題名の一部として出てくるだけなので考慮しないこととする。
一方、「公益通報者」は第4条第22号と第6条第2項第1号ホに現れる。2回とも「個人情報」の直前だ。結論から先にいえば、この法律では「公益通報者」は2回とも同じ意味で用いられており、公益通報者保護法で定義された「公益通報者」以外の者を含むという解釈は成立しない。常識的に考えても、「公益通報者」などという法律臭がぷんぷん漂う語に法令とは異なる「一般的な意味」というのは考えにくいのだが、それ以外に決め手がある。以下、消費者庁及び消費者委員会設置法から抜粋して引用しよう。

第四条  消費者庁は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務(第六条第二項に規定する事務を除く。)をつかさどる。
【略】
二十二  公益通報者公益通報者保護法(平成十六年法律第百二十二号)第二条第二項に規定するものをいう。第六条第二項第一号ホにおいて同じ。)の保護に関する基本的な政策の企画及び立案並びに推進に関すること。
二十三  個人情報の保護に関する法律(平成十五年法律第五十七号)第七条第一項に規定する個人情報の保護に関する基本方針の策定及び推進に関すること。

第六条  内閣府に、消費者委員会(以下この章において「委員会」という。)を置く。
2  委員会は、次に掲げる事務をつかさどる。
【略】
ホ 公益通報者の保護に関する基本的な政策に関する重要事項
ヘ 個人情報の適正な取扱いの確保に関する重要事項

つまり、第6条第2項第1号ホでは直接公益通報者保護法に言及していないが、予め第4条第22号で「第六条第二項第一号ホにおいて同じ。」と書かれているので、間接的に公益通報者保護法の「公益通報者」の定義を参照していることになる。
それに対して、「個人情報」のほうは第6条第2項第1号ヘで直接個人情報の保護に関する法律に言及していないばかりか、第4条第23号にも「第六条第二項第一号ヘにおいて同じ。」というような文言がないため、間接的にも個人情報の保護に関する法律の「個人情報」の定義を参照していない。従って、ここでいう「個人情報」が個人情報の保護に関する法律により限定された意味に留まらず、個人に関する情報*3一般を指していると解釈する余地がある。
消費者庁及び消費者委員会設置法は題名のとおり消費者庁消費者委員会についての法律だ。前者は役所で後者は第三者機関だから、同じ個人情報という行政分野についても関わり方が違うため、前者について規定した第4条と後者について規定した第6条とで「個人情報」のカバーする範囲が異なるのだ、と考えることにさほど違和感はないだろう*4
もうひとつの傍証としては、さまざまな法令を単に「個人情報」で検索した場合には、特定の個人を識別できる情報に限定する旨のかっこ書きがあることが多いのに、「個人情報の適切な取扱い」の場合にはそのような限定がないことが多いということが挙げられるだろう。たとえば、競争の導入による公共サービスの改革に関する法律地方公共団体の特定の事務の郵便局における取扱いに関する法律医療法などでは、「個人情報の適切な取扱い」という表現を、特に「個人情報」の定義なしに用いている。なら、消費者庁及び消費者委員会設置法でも同じことではないか、と考えるのは自然なことだろう。

*1:これは別に行政に限ったことではない。たとえば、生物学上の「軍拡競争」は一般的な意味とは異なっているが、この用語が生物学上の用法で用いられていることを明示しておかないと誤解のもととなる。このような場合には一般にはまず用いられることのない「軍拡競走」を使っておけば誤解の恐れはかなり低減される。これも「それなりの配慮」のうちだ。この例については軍拡競走 - 一本足の蛸を参照されたい。

*2:というのは言い訳で、法令データ提供システムで「個人情報」を検索して、いちおうこの語の用例をひととおり見ていたのだから、注意深く読んでいればこれら2つの法律の「個人情報」の定義の仕方の違いに気づいていたはずだ。

*3:ちなみに個人情報の保護に関する法律では「個人に関する情報」と「個人情報」を別の意味で用いているが、社会通念上は両者に意味の違いはないと考えられる。

*4:というのは今思いついた理屈で、もし図書館の貸出履歴が個人情報でないとすれば - 一本足の蛸を書いたときには消費者庁と消費者委員会の違いなど全然意識していなかった。