友桐夏、7年間の軌跡

星を撃ち落とす (ミステリ・フロンティア)

星を撃ち落とす (ミステリ・フロンティア)

はじめに

友桐夏が『白い花の舞い散る時間』でデビューしたのは2005年のことだから、今年でデビューから7年目ということになる。このたび古巣のコバルト文庫を離れて東京創元社ミステリ・フロンティアから再デビューすることとなった。
友桐夏ミステリ・フロンティアで書けばいいのに、というような意見はデビュー当時からあった。誰かどこで言っていたのかは忘れたし、探しても見つからなかったが、ここ にははっきりとそのような意見が書かれている。
なぜ、当時の読者がコバルト文庫でデビューした新人を評するのに全然無関係のミステリ・フロンティアに言及したのか、7年も経つと事情がわからない人も多いだろうと思うが、『白い花の舞い散る時間』が刊行された2005年9月には桜庭一樹の非ライトノベルレーベル進出第1作『少女には向かない職業』がミステリ・フロンティアの1冊として世に出ていると言えば、なんとなく当時の雰囲気が理解できるかもしれない。ついでにいえば、米澤穂信の非ライトノベルレーベル進出第1作『さよなら妖精』もその前年にミステリ・フロンティアから出た作品だ。
ともあれ、デビューから7年近い歳月を経て実現した、一部の読者が夢見た友桐夏ミステリ・フロンティア進出を祝して、友桐夏の7年間の軌跡を振り返ってみることにしよう。

2005年

まずは、デビュー作『白い花の舞い散る時間』のあとがきから。

はじめまして、友桐夏です。
この『白い花の舞い散る時間』は、二〇〇五年度ロマン大賞で佳作をいただいた作品です。
友桐夏名義としては、初めて発表する作品になります。
別名義で《コバルト短編小説新人賞》の佳作をいただいたことと、参考作品に選んでいただいたことが一回ずつあるので、隔月刊『Cobalt』誌上には、これまでに二作品掲載していただいています。短編賞で最終候補まで残った作品は、確か他に三つ。もう一歩の作品欄にタイトルが小さく載った作品は、たぶん二桁にとどいています。
その一作一作を階段にして、やっと「ここ」にたどり着くことができました。
なんと七年かかりました。

整理しよう。

  1. 白い花の舞い散る時間』は2005年度ロマン大賞佳作を受賞した。
  2. 白い花の舞い散る時間』以前に雑誌「Cobalt」に別名義の作品が2篇掲載されたことがある。
  3. 掲載作はコバルト短編小説新人賞に応募したもので、1篇は佳作、もう1篇は参考作品である。
  4. その他、コバルト短編小説新人賞に応募して最終選考に残った作品は3篇、最終選考に残らなかったがタイトルが掲載された作品は10篇以上ある。
  5. コバルト短編新人賞への応募歴は7年間に及ぶ。

「確か」「たぶん」という留保つきなので不正確なようにも思えるが、これらの記述には思い違いなどは全くなく、すべて正確な記述である。しかし、ここに書かれているのがすべてというわけではなく、省略された事実もいくつか存在する。

1998年

友桐夏の名前が「Cobalt」に現れるのは1998年からである。ただし、当時はまだこの筆名を用いておらず別名義だった。その名義を友桐夏名義と区別するため、ここでは[友桐夏]と括弧に入れて表記する*1ことにしよう。
Cobalt」1998年6月号のロマン大賞(通算第7回*2)の中間発表が行われた。そこでは第2次及び第3次予選通過作品のタイトルと作者名が掲げられている。その中に『影法師―真実の絆―』という作品が第2次予選通過作として記されている。これが[友桐夏]の「Cobalt」誌上での初見である。
ロマン大賞は長篇小説を対象とした新人賞で、年1回募集があり、友桐夏の投稿時代には6月号で第2次及び第3次予選通過作品を発表し、8月号で第1次予選通過作品から受賞作まですべて掲げることとなっていた。従って、同じ『影法師―真実の絆―』のタイトルは同年8月号にも見ることができる。
一方、コバルト短編小説新人賞における[友桐夏]の初見は少し遅れて同年12月号である。記念すべき最初の掲名作品のタイトルは『時渡り―夢幻少女―』というものだった。これは、第78回コバルト短編小説新人賞の「もう一歩の作品」である。「Cobalt」には毎号コバルト短編小説新人賞のページが設けられており、最終候補作品の中から「入選」ないし「佳作」を1篇選んで掲載するほか、最終候補に残らなかった作品を「もう一歩の作品」と称して紹介していた。「もう一歩の作品」の水準は詳らかではないが、ともあれ、毎回数百篇の応募作の中で全く無名のまま消えていく作品のほうがはるかに多いことは確かである。

1999年

この年、友桐夏は2年目にして大躍進することとなった。1999年度ロマン大賞(通算第8回)において第4次予選通過作の5篇のうちの1篇に『影法師―真実の絆―』が選ばれたのだ。残念ながら、この5篇のうち『影法師―真実の絆―』を除く4篇が最終候補作品となり、同作だけ取り残された。
選評で取り上げられていないため、この作品が同タイトルの前年ロマン大賞第2次予選通過作の改稿版なのか、それともタイトルだけ同じで内容は全く別物なのかは不明である。また、どのようなジャンル、ストーリーの作品だったのかもわからない。
同じ年に友桐夏はノベル大賞(通算第30回*3)に『キングの微笑む三日間』を投じ、第2次予選通過作品として「Cobalt」12月号にタイトル・作者名が掲げられている。このノベル大賞とは100枚前後の中篇小説を対象とした賞で、当時は毎年12月号で結果が発表されていた。ロマン大賞のような中間発表はないが、毎年1回の募集であること、数次にわたる選考により応募作品の序列づけがなされることなど、類似点も多い。
なお、この年、コバルト短編小説新人賞には[友桐夏]の名は見られない。ロマン大賞、ノベル大賞に精力を傾け、コバルト短編小説新人賞に応募していなかったのか、それとも応募はしたが「もう一歩の作品」にも届かなかったのかは定かではない。

2000年

2000年にはコバルト短編小説新人賞、ノベル大賞、ロマン大賞のすべてに[友桐夏]の名が見られるようになった。
まずコバルト短編小説新人賞では、「Cobalt」2月号(第85回)に『夜間飛行』、6月号(第87回)に『210万光年の君』、10月号(第89回)に『アリスの鏡』、すべて「もう一歩の作品」ではあるが、それぞれタイトルが掲載された。
ノベル大賞(通算第31回)では『RIDDLE GAME』が第1次予選通過作品に、ロマン大賞(通算第9回)では『リターン』が第2次予選通過作品に、それぞれ選ばれた。1999年の作品よりランクが下がっているため大躍進とは評することができないが、友桐夏が着実に実績を積んでいることは否定しがたい事実である。

2001年

これまでコバルト短編小説新人賞では「もう一歩の作品」ばかりだったが、「Cobalt」2月号(第91回)の『紅葉さがし』で初めて最終候補に残るという快挙を果たした。当時の選考委員、日向章一郎と倉本由布の選評では『紅葉さがし』は無視されているが、編集部評ではわずかながら言及されている。

『紅葉さがし』の[友桐]さんはロマン大賞・ノベル大賞の常連の方。高校演劇部での大道具紛失事件を軽快なタッチで描いていますが、登場人物が多すぎて非常に読みづらい。作者一人で遊んでしまった印象があります。

この時点で友桐夏が編集部から「常連」と認知されていたことは、それまでの実績からすれば当然だが興味深い。また、それまでの作品についてはタイトルしか伝えられていないがことを考え合わせると、この編集部評は友桐夏研究者にとって決して見逃すことはできない重要性を持っている。
この年、コバルト短編小説新人賞では他に12月号(第96回)で『TRIAL―閉鎖回路』が「もう一歩の作品」となったのみだが、ノベル大賞(通算第32回)では『一夜記録〜ねずみとり〜』が第2次予選通過作品、『リアルバランス』が第1次予選通過作品となっており、ロマン大賞(通算第10回)のほうでもヒルドロップ』が第2次予選通過作品となっている。

2002年

Cobalt」2002年4月号に第98回コバルト短編小説新人賞佳作受賞作『210万光年の君』が掲載された。作者は[友桐夏]、そうこれが友桐夏の実質的デビュー作ということになる。なお、2000年の同タイトルの作品との関係は詳らかではない。
デビュー作には作家のすべてが詰まっている、と俗に言われる。たとえば、鮎川哲也を例にとれば1943年に佐々木淳子名義*4で発表した「ポロさん」はその後の日本ミステリ史に残る傑作の数々の原点と言える、かもしれない。同様に「210万光年の君」も友桐夏の原点と言って差し支えないだろう。
だが、「210万光年の君」への評価はさほど芳しくはなかった。編集部評に曰く、

ロマン大賞の締め切りが近かった影響でしょうか、完成度や魅力で抜きん出る応募作にめぐり会えなかったのが残念です。雰囲気の良さと破綻の少なさから[友桐]さんの『210万光年の君』が佳作となりましたが、強力なライバルがいない幸運に後押しされたのは否めません。

また、日向章一郎は次のように評している。

『210万光年の君』は、辛うじてバーをクリアしていました。観念的な小説です。この手の小説を読むと、観念が空回りしたり、自意識が鼻につきすぎたりして本人が思うほど効果が出ていないものなのですが、この小説は悪くない。これを書きたい、という強い意欲が伝わってくるからです。
テーマとしてはかなり重いものです。余計な感情を排して、宇宙的、物理的観点から人の死を描くということが作者の目論見。
実際、高校生くらいの子が日常会話の中でこういう話をすることはまずありません。しかし、それについてあれこれいうのはダサイこと。作者が考えているのは、人工的な小説だからです。
こういう書き方もアリと感心しました。その結果、佳作として推したのだけど、もの足りない気分が残ったのも事実。
【略】
作者が芝居の影響を受けているかどうかはわかりません。たとえそうだとしても既成のコバルト作品の影響をアピールするより、ずっと意味があります。マイナスポイントにはなりません。ただし残念なことに、ぼくは登場人物たちに感情移入するまでにはいたらなかったんですね。問題点はなんの影響を受けたかではなく、別のところにありました。
[友桐]さんはきっと誰かを感動させる話だって書けるはず。そして、読み手も、感心できる話より感動できる話を求めているはずです。次作の留意点はそこ。頑張ってください。

この評が当を得ているのかどうかは読者諸氏の判断に委ねることとしたいが、一つだけ指摘しておくと、多くの読者は「感心できる話より感動できる話を求めている」のだとしても、必ずしもすべての読者がすべての物語に対して感動できることを求めているわけではない。特にミステリ愛好家は情動に訴えかける「感動」より知性に響く「感心」を求める傾向が強いのではないだろうか。「210万光年の君」はミステリではないが、ミステリ読者が読めば自ずと異なった評価になるものと思われる。
また、倉本由布の評は次のとおり。

今回の候補作を見せていただいた中、総じて気になったのが「人間を描く」ことを忘れがちになっている作品が多いのではないかという点でした。
イデアをふくらませることや筋を追うこと、あるいは雰囲気を追求することに作者が気持ちを割いてしまったために肝心の登場人物たちの掘り下げが甘くなっている作品がいくつかあったと思います。人間の描写が浅い小説はやはり、読み手の胸に迫ってくるものが薄くなりがちです。
佳作の『210万光年の君』にも同じことが感じられたのがとても残念でした。正直に言うと、今回、候補に残った作品の中で私は、[友桐]さんのこの作品が一番好きでした。とてもキレイな空気を持った小説で、読んでいるうちに宇宙空間に抱かれているような気持ちにさせられる説得力が、文章の根底に流れていました。
けれど、その雰囲気に作者自身が流されている様子がなんとなく窺えたのが気になったのです。作品の世界に心地よく酔うことは出来るけど、お話が終わったあと、さてどんなものが残るかといえば「キレイな世界だったなあ」という満足感だけ。
【略】
とてもキレイな小説です。世界観は、本当にキレイです。でも、だからこそ主人公たちの心をもっとドロドロと、現実以上の執着心というか過剰な愛情というか、それでいて世代を越えて誰が見ても涙が出るほどの恋というか、そういう形で描いてみたら、逆にこの世界の美しさがもっと際立ったのではないでしょうか?
作者の[友桐]さんの作品は、以前にも読ませていただいたと記憶しています。そのときの作品も、どこか独特の雰囲気があるものでした。あざやかでキレイな世界観は、おそらく[友桐]さんの持ち味なのだと想います。それは大事にしたままで、次回はもっともっと作者自身、物語世界に踏み込んでみてはどうでしょう? 文章も安定しているし、自信を持って書き続けていって下さい。

この評の当否についても、判断は差し控えておこう。ただ、星新一綾辻行人も「人間が描けていない」という批判に晒されたことがある、という事実に注意を喚起しておく。
さて、これらの評を受けた友桐夏の「受賞のことば」は今読み返すと非常に興味深い*5

「210万光年の君」を佳作に選んでくださってありがとうございました。以前最終選考まで残していただいた「紅葉さがし」という短編に、選評をいただけたことがとてもプラスになって、今回の受賞につながったのだと思います。今回の選評も同じようにバネにしていきたいと思います。

このような選評をバネにして、友桐夏はさらに投稿を続けた。コバルト短編小説新人賞では「Cobalt」8月号(第100回)に『籠のとりは空を夢見る』が、12月号(第102回)に『追い討ち』がそれぞれ「もう一歩の作品」として掲名されている。ただし、この年のノベル大賞、ロマン大賞の予選通過作品リストに[友桐夏]の名は見られない。

2003年

2003年は友桐夏にとってやや低調な年だったと言えるだろう。コバルト短編小説新人賞では「Cobalt」2月号(第103回)で『Imaginary rain with the Real』が最終候補作品となったものの、その後は「もう一歩の作品」すらない。その他はノベル大賞(通算第34回)で『不可侵の三人目』が第2次予選通過作品となったのみ。
いちおう、『Imaginary rain with the Real』への選評を見ておくこととしよう。
まず編集部。

『Imaginary rain with the Real』の[友桐]さんは、第九八回で佳作に入った方。受精卵が選別される未来社会を描いた力作で、さすがに描写には巧みさが感じられます。今回も岸さん*6に次ぐ評価を受けたのですが、SFとしての世界構築の詰めが甘く、斬新さにも欠け、印象の薄い作品になってしまいました。タイトルにも一考を。

次に日向章一郎。

[友桐]さんの作品は手を加えればSFプロパーがよろこびそうな作品になる可能性あり。今回の話は情景描写が重すぎます。情景をあっさりと描き、かわりに人物をじっくりとわかりやすく描くことが大切。

最後に、倉本由布

[友桐夏]さんは以前、佳作受賞したこともある方で、読ませていただくのはこれで三作目。充分な実力を持っていらっしゃるのですが、なんとなくいつも、外へ、ではなく自分の内へ向けて書かれているように思います。読者不在とまでは言いませんが、読者に「伝えよう」とはしていない気がする。それより「読者のほうから見に来てください」と言われている感じ。それもひとつの個性ですが、[友桐]さんのは強烈なものではないため、中途半端でマイナスになってしまっているかも。せっかくだからこの個性に磨きをかけるもよし、ちょっと読者の目を意識してみるのもよし。そこはご自分で考えてみてください。

2004年

コバルト短編小説新人賞はこの年の「Cobalt」2月号の第109回で日向・倉本体制を終了した。4月号で1回休んだのち、6月号の第110回でリニューアルを遂げた。

前号での予告どおり、今回より選考委員に作家の花村萬月先生をお迎えし、新しく生まれ変わった賞としてスタートです。花村先生とともに編集部スタッフ全員、計9名で最終選考にあたり、選考過程を誌上でオープンにしていきます。リニューアル第一回となる今回は、まず各作品につきひとり5点満点で評点をいれ、総計点が低い作品からとりあげて討論する、という形で進行しました。3時間に及ぶ大激論となりました。

この記念すべきリニューアル第1回目に友桐夏『ゆきもどり草紙』が5篇の最終候補作のうちの1つとして座談会ふうの選評で4番目、つまり入選作のひとつ前に取り上げられている。評点は28.2点*7。従来は編集部と2人の選考委員のコメントをあわせて1ページにおさまっていたのが、この号から選評の分量が増えており、『ゆきもどり草紙』だけでも約3/4ページを費やしている。そのすべてを引用するのは煩雑になるため、ここでは編集部の評は割愛し、あらすじと花村萬月の評のみ引用する。
まず、あらすじ。

小学生の莉子は、転校することになった篤史に「ふたりだけで山へ登らないか」と誘われ、雪戻山へ向かう。十年経って二十歳になったら、また山の上で、同じ日同じ時間に会おう。そんな約束を胸に山頂を目指すふたりは、冬山の厳しさの中で遭難してしまうが、篤史とはぐれた彼女を、どこからともなく現れた青年が救ってくれたのだった。やがて十年が過ぎ、ふたたび雪戻山を訪れた莉子の目の前に、今度は連れとはぐれたらしい少年が現れるが、実はそれは十年前の篤史だった……。そしてふたたびふたりは十年越しの再会を果たす。

これに対する花村萬月のコメント。

読後感としては、「手なれているけれど難しいものを書いている」という感じですね。技術的な問題はわりと簡単に解決できると思います。中途半端な人称が問題で、比喩や描写が妙に変なところがある。はっきり言うと、作者が文章にそのまま出ちゃってるんです。子どもの時でも、作者のまま。そのあたりの人称のしばりを課題としてもっときっちり書いていけば、この人は戦力になるのかもしれません。
でも、俺は2点をつけた。それは″既視感″なんです。筋書き自体、もう、どこかで読んだような既視感がつきまとう。それが減点理由。オリジナルがどうこうなんて言いません。これは新人賞なので、破綻してもいいですから、もっとなにか熱いものがほしかったですね。あるツボやコツは十分心得ていますから、人称や視点の問題をもう少し考えて、きっちり自分をしばりつけて書けば、もっともっと良くなると思います。

この後、『オンエア』『色彩変化』の2篇が「もう一歩の作品」として「Cobalt」12月号(第113回)に掲げられているほか、ノベル大賞(通算第35回)でも2篇、『少女夜話』『CR―トップシークレット―』が第2次予選通過作品となっている。ノベル大賞の発表は12月号なので、同じ号に[友桐夏]の名が2回、それぞれ2篇の小説の作者として掲載されていることになる。

ふたたび2005年

明けて2005年2月号のコバルト短編小説新人賞(第114回)で友桐夏『スペア★』で2回目の作品掲載を果たす。だが、それは必ずしも名誉なことではなかった。選評の冒頭に事情が書かれている。

今回、花村萬月先生と本誌編集部により厳正な選考を行った結果、残念ながら入選も佳作も″該当作品なし″ということになりました。そして議論に議論を重ね、ご覧のように「参考作品」として[友桐夏]さんの『スペア★』を掲載することに決定しました。
【略】詳しくは次ページからの選評にゆずりますが、プラスの評価にせよマイナスの評価にせよ、「この小説について積極的に討論したい」と情熱をかきたてられる作品に出会うことができなかった、というのが正直なところです。
【略】作者の[友桐夏]さんはこの短編小説新人賞の常連。リニューアル後もほぼ毎回1編といわず2編3編と応募し、最終選考に残った経験もある、やる気あふれる書き手です。花村先生も「[友桐]さんにはプロになりたいという熱意がある。ここで屈辱と感じても、それをバネにしてめげずに食らいついてきてほしい」とエールを送っています。

「屈辱と感じても」とわざわざ断りを入れているように、花村萬月の選評は苛烈である。しかし、ただ罵詈雑言を連ねているというわけではない。熱いのだ。その「熱さ」は、『スペア★』とともに読むのでなければ意味をなさない。従って、ここで選評だけ引用するのは適切ではないと考える。
さて、友桐夏花村萬月の酷評に「めげずに食らいついて」きた。残念ながら、コバルト短編小説新人賞では二度と最終選考に残ることはなかったが、「Cobalt」2005年6月号(第116回)の「もう一歩の作品」2篇、『白い食卓に羽根』『短篇少女。』友桐夏の熱意を後世に伝えている。そして、同じ6月号の2005年度ロマン大賞中間発表のページには『ガールズレビューステイ』が第3次予選通過作品として掲げられている。作者名は「友桐夏」。
現在、タイトルが知られている作品だけで短篇15篇*8、中篇5篇、長篇3篇*9。第1次選考を通過することができず、タイトルが知られていないものを含めれば一体どれだけの作品がこの7年間に書かれたのか見当もつかない。ともあれ、「その一作一作を階段にして」『ガールズレビューステイ』が書かれ、白い花の舞い散る時間と改題のうえ世に出ることとなった。

おわりに

友桐夏が「友桐夏」となる前の7年間の軌跡を軽く辿ってみた。この後の友桐夏の活動については既に周知のことであるので繰り返さない。今日発売の『星を撃ち落とす』*10を読むのに、このような事情を知っている必要はおそらく全くないだろう。だが、友桐夏の2005年以降の7年間がそれ以前の7年間の積み重ねの上に成り立っているということ、そして、2005年以降の7年間の積み重ねの上に今日この日があるのだということを踏まえて『星を撃ち落とす』を読めば、それを知らずに読むのとはまた別の感慨があるのではないか。そう思うのである。

*1:別名義で発表された作品のタイトル等から当該名義を調べることは容易だが、友桐夏名義の著作では過去の別名義への直接の言及がないことから、その意を汲むことにした。

*2:この賞は「ファンタジーロマン大賞」から改名されたので、回数を表示する際には「通算」を冠する。

*3:「コバルト・ノベル大賞」を前身とし、これも「通算」を冠する。

*4:余談だが、主に1980年代に活動した同名のマンガ家がいる。佐々木淳子 - Wikipediaをみると鮎川哲也の経歴とかけ離れているのでおそらく別人だと思われる。

*5:興味のある方は『楽園ヴァイオリン』のあとがきの最後のページとあわせて読んでください。

*6:当該回の佳作受賞者。なお入選は「該当なし」だった。

*7:なぜ小数になっているのかは不明。

*8:「210万光年の君」を2篇の別作品とカウントすれば16篇。

*9:『影法師―真実の絆―』を2篇の別作品とすれば4篇。

*10:星を撃ち落とす - 友桐夏|東京創元社では6月30日発売とされているが、28日から店頭に並ぶ とのことなので、「今日発売」とした。