地方についての理解の「壁」

大げさな見出しをつけてしまったが、たいした内容はない。
先ほどみわよしこ氏のレポート - 新小児科医のつぶやきを読んで思い出したことがあるので、忘れないうちに書き留めておこうと思っただけだ。
具体的には、以下の記述がきっかけだった。

ついでですから、ここも笑ったのですが、

「あの条例案で問題になったパチンコも、そもそもパチンコ屋が、そんなにたくさんあるわけではないんです。中心街から少し外れた国道沿いに、2軒3軒ある程度。その近くに、マイナーなレンタルビデオチェーンの店舗とカラオケ屋が1軒ずつ。小野市で『遊ぶところ』といったら、これで全部です」(田中さん)

想像しただけで、なんとも息の詰まりそうな世界だ。それでも筆者だったら、図書館が充実していれば、なんとか息抜きや気分転換や知的刺激の手段を確保できるかもしれない。

みわ氏は余ほどの都会に住まわれており感覚が麻痺されているのかも知れませんが、地方小都市の『遊ぶところ』なんてそんなものです。みわ氏は5万の地方小都市に何を求められておられるのか疑問です。なんであれ産業は顧客の需要があって初めて成立するもので、5万しか人口がいなければ5万に相応しい規模のものしか成立しません。後段は図書館のお話になるのですが、もうちょっと引用しておきます。

「図書館……大きな図書館があるんですけど、若い人は行かないですよ。年寄りばっかりです。あとは子どもとか、子どもを連れてくる親が少しはいる感じですかね。図書館もそうなんですけど、小野市はハコものが好きなんです。お金はあります。でも、肝心なところはケチります」

ここも傍らに写真つきで図書館が紹介され「小野市唯一の図書館。蔵書数は約20万冊」なんてキャプションが付いてますが、5万都市に幾つ図書館があるのが「普通」とお考えになられているのでしょうか。これだけの図書館があると言うだけで大した物ですし、若者が利用しないから云々も何を言わせたいか意味不明です。

小野市のことはよく知らないのだが、「5万の地方小都市」「図書館」というふたつのキーワードから武雄市を連想した。武雄市図書館が何かと話題のあの武雄市だ。
図書館をはじめ、武雄市政には物議を醸す要素が多く、佐賀県武雄市の問題について:takeoproblemというまとめもあるほどだが、武雄市問題について批判的に言及している人の中には、都会の常識をそのまま地方都市にあてはめてとんちんかんなことを言っている人もいる。
たとえば、武雄市は下水道普及率が非常に低いのだが、そこから直ちに武雄市図書館のトイレは汲み取り式だと決め付けて暴言を吐いた人がいた*1。この人は浄化槽という装置の存在に無知だった*2。これはただの一例。どこまで意識的なのかはわからないが、都会人が抱いているステロタイプな地方観が、たとえば「問題だらけの武雄市」というようなトリガーに触れて、一気に差別的言辞として噴出しているのではないか、というふうに思ったことだった。
そういえば、武雄市とは全然関係ないが、こんなのもありました。
みわよしこ氏のレポート - 新小児科医のつぶやきで取り上げられている賛否両論を呼んだあの条例はもう忘れられた?「生活保護費でギャンブル禁止条例」のその後(上)|生活保護のリアル みわよしこ|ダイヤモンド・オンラインが、もうイヤだ日本の政治家バカばっか! - デマこいてんじゃねえ!ほど無知と偏見まみれだ、と言ってしまうのは酷だが、全然別の話題について語っているのによく似たにおいがするのは確かだ。

たぶんこの筆者には田舎に対する差別意識などないのだ、と思えてきた。

単に、地方のことを知らないのだ。

都会の人間が田舎のことを知らないのは、要するに自分にとって馴染みのある空間以外のことは知らないということなのだから、田舎の人間が都会のことを知らないというのは同じことだ。そう相対化することもできるのだが、さて゛「どっちもどっち」と割り切ってしまえるものなのかどうか。情報の非対称性を考慮に入れればどうだろう。理解の「壁」には程度の差があるのではないか?
というようなことを思ったのだが、今はまだ思いつきの域を出ない。また何か具体例が見つかったら、もう少し踏み込んで考えることができるかもしれない。
今日のところはここまで。

*1:Twitterでの発言。削除していなければ今でも残っているだろうが、過去に遡って当該ツイートを探し出すのが面倒なので、リンクはしない。

*2:さらにいえば、汲み取り式が水洗式に比べて下等だという価値観にも問題がある。確かに衛生面や快適さでは劣るが、糞尿の再利用可能性や環境負荷という別の尺度でみれば、水洗式は汲み取り式に到底かなわない。