ドーナツの穴

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

本の話なので便宜上「読書」カテゴリーに入れたが、実はまだこの本を読んでいない。というか現物を見たことすらない。
いずれ何かの機会があれば読んでみたいものだと思っているのだが、その前に忘れてしまいそうなので、ここに書き留めておくことにした。以上。
……というだけではちょっと寂しいので、この本のタイトルで提起されている問題についてまじめに考えてみる。
「ドーナツの穴だけ残して食べる方法」とは?
そんな方法などない、というのが現段階で思いつく最も知的に誠実な答えだ。その理由は、次のとおり。
ドーナツの中には穴のあいたものと穴のあいていないものの2種類がある。穴のあいていないドーナツはどのような食べ方をしても穴を残すことはできない。なぜなら、もともとなかったものを残すことなど不可能だからだ。むろん、ドーナツの一部をくりぬいて食べて穴をあけることはできる。しかし、それは穴を「残す」という事態とは全く異なる。
では、穴のあいたドーナツはどうか。途中まで穴を残して食べることは可能だろう。だが、完食すれば穴はなくなる。「穴だけ」残して他の部分をすべて食べることは不可能だ。
従って、いかなるドーナツであっても、穴だけ残して食べることはできない。ゆえに、ドーナツを穴だけ残して食べる方法は存在しない。
つまらない回答でしょ?
実はこの回答は十分な論証ではない。なぜドーナツの穴だけ残して他の部分を完食することが不可能であるのかを説明していないからだ。それは単なる経験的事実であって、必然的な事柄ではないとは考えられないだろうか?
このように問いかけることで、ドーナツの穴は我々を形而上学へと導く。
そういえば、全然異なるアプローチだが、ドーナツなどの穴について書かれた愉快な形而上学の本がある。
穴と境界―存在論的探究 (現代哲学への招待)

穴と境界―存在論的探究 (現代哲学への招待)

この本を読んで、感想文とも言いがたい雑文を書いたのは今から6年近く前のことだ。さて、『ドーナツの穴だけ残して食べる方法』は『穴と境界』のような知的興奮を呼び覚ましてくれる本だろうか?