検索するのに困る殺人事件

○○○○○○○○殺人事件 (講談社ノベルス)

○○○○○○○○殺人事件 (講談社ノベルス)

これは今月上旬に出た本だが、いきつけの近所の小さな書店には講談社ノベルスが入荷しないので、昨日までこの本の存在を知らなかった。その書店で昔、「新本格推理」の諸作を買った覚えがあるので、昔は少なくとも新刊は入っていたはずだ。確か京極夏彦がデビューした頃には、まだあった。たぶん西尾維新がデビューした頃にもあったはず。いつの間にその書店から講談社ノベルスが消えたのかはよく覚えていない。まめに新刊をチェックしていれば気になったのだろうが、いつしか講談社ノベルスの新刊を待ち望むこともなくなったので、その頃に静かに棚から消えたのだろう。そういえば、講談社ノベルスで記憶に残っているいちばん最近の本は城平京の『虚構推理 鋼人七瀬』だが、これはその書店にはなかった。
昨日、久しぶりにミステリ好きの後輩に都会の大きな書店で出会った際に、「何か最近面白い本ない?」と尋ねた。会うときはいつもこの言葉が挨拶代わりだ。皆さんもそうでしょう? そうでない人はこの先を読まなくてよろしい。
で、後輩が薦めてくれたのが、この『○○○○○○○○殺人事件』だった。「あまり詳しく内容に触れることはできないが、これは素直に楽しめた」とのこと。どんなミステリでもあまり詳しく紹介することはできないものだが、特にある種のミステリは一言口を滑らせただけでぶち壊しになることがある。そういう種類のミステリだと了解した。
その後、後輩とは先日発売された『日本ミステリー小説史 - 黒岩涙香から松本清張へ』の話題で大いに盛り上がった。だいたいこのあたりで呟いたことを話したところ、後輩は「生まれたときからミステリを読んでいるマニアがいることを、この著者は知らなかったのだろう。出版前に誰かに査読してもらえばよかったのに」と言った。
『日本ミステリー小説史』の話はさておき、『○○○○○○○○殺人事件』に話を戻す。この小説のことは昨日までタイトルすら知らなかったくらいなので、作者の早坂吝なる人物についてもほとんど何も知らない。1988年大阪生まれだそうなので、「早坂吝」というのは本名ではないのだろうと推測できる*1程度だ。性別もわからない。京都大学文学部卒業とのことだから、京都大学推理小説研究会に所属していたのかもしれないと想像したが、経歴には書かれていない。本作『○○○○○○○○殺人事件』が第50回メフィスト賞を受賞してデビューしたとの由。
作者の実像は全く知らないが、若く挑戦的なミステリマニアであることは、この本の端々から伝わってくる。間違えてサイン本を買ってしまい*2、最初に本を開くと手書きで「破天荒な作品ですがよろしくお願いします。」と書いてあった。うーん。本当はここで本をそっと閉じて倉庫*3に積んでしまいたいところだが、目利きでかつ辛辣な後輩が一切悪口を言わずに薦めた本なのだから、とぐっと我慢してページを繰る。
目次の次に「主な登場人物」、その次に館の見取図……がなかったのは意外だが、第一章の前に「読者への挑戦状」が置かれている。タイトルを当てよ、と作者は読者に挑戦している。これはもちろんレトリックで、タイトルは『○○○○○○○○殺人事件』だ。ご丁寧に「○」には「まる」とふりがなまで付されている。よって、この小説は「タイトル当て」ではなく「タイトルで伏せられた言葉当て」小説ということになる。まあ、細かい話ですが。
ところで、後輩が言うには「○○○○○○○○殺人事件」で検索するに、単に「殺人事件」が含まれるページが大量にヒットして困るのだそうだ。試しにやってみよう。

あらら、グーグルでは全く使い物にならない。
で、後輩は他の人がどんな感想をアップしているのかを検索するのに作者名を使ったそうだ。デビュー第1作なら他の作品への言及が混じることがないので、それでいいのだが、今後作品数が増えてくると困ったことになるのではないだろうか。いやまあ、こういうのを書く人は2作目が出ないことも多いので、そんな心配をすることはないかもしれないのだが。
閑話休題
「読者への挑戦状」に続いて本文が始まる。このあたりは普通のミステリだ。みんなで船に乗って小笠原諸島へ向かい、孤島で殺人事件が起こり、探偵役が事件の謎を解く。基本的には一人称だが、「挿話」と題した箇所では別の視点で語られる。「挿話 壁に耳あり障子に目あり」では「神の視点」という言葉が出てくるが、本当に神の視点なら人物の内面がわかるので119ページ13行目のような記述はアンフェアの疑いが強い。だが、注意深い作者は「神の視点」を「便利な言葉を使わせていただく」のだと断っている。あざといけれど匙加減はうまい。
ややひっかかったのは視点人物の主人公の言動が若すぎるということだ。作中での設定は30歳だが、どう考えても20代前半だろう。大学院生のヒロインと同年の23歳くらいでよかったのではないかとも思った。
それ意外には特に首を傾げる点はなく、最後まですらすらと読めた。むろん途中では「おやっ」と思う箇所がなかったわけではないが、すべて最後には解決している。ミステリとしてのアイディアの根幹に触れることはできないので、謎やトリックに直接関係ない例を一つだけ挙げておくと、107ページ下段12行目などあからさまにおかしいのだけど、きちんと理由が説明されていてほっとした。
この小説で作者が仕掛けた大きな罠については、何かありそうだなぁとは思ったものの、今日はあまり深く考える気分ではなかったのでスルーした。もし慎重に立ち止まって考え、必要に応じて前の方を読み返す、というような読み方をすればわかったかどうか。「当然わかったはずだ」と言いたいところだが、あまり自信はない。ただ、仮に大技を見抜けたとしても、密室を作った動機などはわからなかっただろう。大技一本で慢心せずに小技を積み重ねる手練は大いに賞賛に値する。
……とここまで書いて、検索してみつけた感想文や書評*4をいくつか読んでみたのだが、「バカミス」という言葉が目についた。この言葉はあまり好きではないので自分では使わないことにしているのだが、それはともかく、『○○○○○○○○殺人事件』を読んでそのような感想を抱く人が多いのか、と目から鱗が落ちたような気がした。ミステリ的密度の高さと洗練さを前には素材のバカっぽさなど中和されるものだと思っていたのだが、こういう考えのほうが少数派なのだろう。だが、別に他人の感想にあわせる必要はない。
『○○○○○○○○殺人事件』はよく考え抜かれ練り上げられたパズラーの秀作だ、と評価しておくことにする。
『日本ミステリー小説史』によれば「「昭和五十年代には、新本格派とされるムーブメントによって古典ミステリーへの回帰」があったそうだが、それはさておき、講談社ノベルスの「新本格推理」の第1作、綾辻行人の『十角館の殺人』が発表されたのは1987年のこと*5なので、早坂吝が生まれる前のことだ。冒頭の「読者への挑戦状」で言われている「孤島や仮面の男、針と糸の密室が登場する古式ゆかしき本格ミステリ」とは、「新本格推理」を指しているのかもしれない。
いま、本格派推理小説 - Wikipediaをみると「代表的な新本格ミステリ作家」の項に1987年デビューの綾辻行人から始まるリストが掲げられているが、1999年デビューの霧舎巧殊能将之でリストが打ち止めとなっている。このリストそのものに権威はないが、「新本格ムーブメント」は概ね前世紀のものであり、浸透と拡散を経て今では歴史の1ページとして語られるものになっていることは大方のミステリファンが同意するところ*6だろう。だが、その後も、東川篤哉の『館島』など、時折、「新本格推理」初期の味わいを持つ作品が発表されることがある。『○○○○○○○○殺人事件』もまた「新本格派とされる古典ミステリーへの回帰」の一つとされるのか、それとも新たなムーブメントの出発点と位置づけられるのか、それは後世の歴史家の判断に委ねることにしたい。

*1:「吝」は常用漢字にも人名用漢字にも入っていないので戸籍名には用いることができない。

*2:知らない作家のサイン本を集める趣味はないので、書店にサイン本が置いてあっても普段ならサインなしのほうを選ぶことにする。

*3:書庫ではない。

*4:もちろん「○○○○○○○○殺人事件」ではなく「早坂吝」で検索したみつけたものばかりだ。

*5:実際に「新本格推理」という語が用いられたのは翌1998年の『水車館の殺人』から。

*6:『日本ミステリー小説史』の著者、堀啓子氏が同意するかどうかは定かではない。