素朴な疑問

ライトノベルの表紙ってたいてい地味でしょ?
派手なのはカバーのほうで……。
表紙を丸出しにしてラノベを読むのは恥ずかしいからカバーをつけろって、話が逆なんじゃないのかなぁ。
……というのは、見出しに反してあまり素朴な疑問ではない。というか疑問ですらなくて、むしろ反語だ。

「夏の思い出」の思い出

「夏の思い出」は昭和20年代の半ばに大ヒットし、尾瀬を一躍全国区の観光地に押し上げた名曲である……のだそうだが、当時の記憶がないので、これはネットを巡回して得た知識の受け売りだ。
この曲の思い出といえば、学校の音楽の授業で歌わされて、2番の歌詞で思わず吹き出してしまったということだ。ええと、歌詞を引用してもいいのかな?
著作権の問題についてはよくわからないので、歌詞全文についてはリンク先を参照してもらうこととして、ここでは2番の歌詞のうち「思わず吹き出してしまった」箇所だけ抜き書きしておこう。


水芭蕉の花が 匂っている
夢見て匂っている 水のほとり
歌詞の中の「匂っている」は、もちろん「臭気を発している」という意味ではない。たぶん、この曲が生まれた頃の日本語では「匂う」には特に悪い匂いがするという含みはなかったのだろう。今でも「匂う」の名詞形「匂い」はいい匂いにも悪い匂いにも適用されるが、動詞のほうはいい匂いがする場面ではほとんど用いられることがなくなってしまった。一語で表すなら「香る」か。
いったいこの変化はなぜ生じたのだろう? 匂いの典型が臭気だということだろうか。よくわからない。
ところで、何年か前に新聞か何かで読んだのだが、尾瀬では観光客の屎尿処理が問題となっているということだった。下水道が完備されているわけではなく、垂れ流しにすればそれこそ水芭蕉が匂ってしまう。いや、問題の本質は悪臭にあるのではないのだが。