ミステリの読み方


ある出来事が起こる。
物語の中ではすべての出来事の意味は文脈依存的であるから、物語が読み終えられて書物を置くまでは、その出来事の意味は未決のままである。
にもかかわらず私たちが推理小説の未決(サスペンス)を愉悦することができるのは、その「物語を読み終えて、すべての伏線の意味を理解した自分」というものを想像的に措定しているからである。
もし、推理小説の場合に、「その小説が途中で『未完』で終わるかもしれない」とか「最後に探偵が『うーむ、わからん』とうめいて、すべては謎のまま終わる」という事態がしばしばありうるならば、私たちは小説を読むことの苦役に長くは耐えられぬであろう。
これを読んで思い出したこと。
誰だったか忘れたが、「探偵小説*1を読むとき、人は他の種類の小説を再読する時と似た読み方をしている」とエッセイで書いているのを読んだことがある。ミステリを読むとき、一つ一つの伏線を吟味し、結末を予想し、伏線がその(仮定上の)結末に対してどのように機能しているのかを検討する*2が、伏線(部分)と解決(全体)の対比という読み方はふつうの小説では再読時に行うことだというわけだ。
ここから、ミステリの読み方について一席ぶってみるのも楽しいかもしれない。意欲のある人はぜひどうぞ。

*1:もとの文章でそのように表記されていたと記憶している。もちろん「推理小説」であっても「ミステリ」であっても同じことだ。

*2:ただし、必ずしもミステリを読む人がみなそのような読み方を意識的・自覚的に行っているというわけではない。