集中の規模

NHK:豪雪の被害がたいへん……でも、なんであんなところに人が住む?
豪雪ネタでもうひとつ。
なかなか大胆な意見だけに、反発も多い
個人的にはここで述べられている見解がもっとも妥当だと思うが、あえて別の点を指摘しておこう。


アメリカの山奥に住む家族のお話だが、あの辺りで雪が降ると、下の街との交通はいっさい途絶えるのが常識だった。だから略奪した花嫁とのロマンスも成立するのである。雪が降ると道がふさがるのは、古来から当たり前のこと。山奥では一冬分の食糧と燃料は備蓄して生活した。

日本の小林一茶も同じような生活を経験した。

でも、なんで人はあんな不便なところに生活し続けたのか? もちろんコメの生産地であったからだ。たいへんな苦労をしながらでも、労働人口があの地に定住して生産的な仕事をしてもらうことに、国家的且つ国民的な意義があったのである。いわば雪国の農民はみんなのために戦う「国民的英雄」であったわけだ。

ところが、現在では状況が一変している。農村は、江戸時代の国民経済の「リーディングインダストリー」から、国民経済の「お荷物」に転落してしまった。小林一茶が、苦労しながら雪国生活に我慢した理由そのものが、なくなったのだ。一茶の時代とは異なり、山村に住む人たちは、日本経済にいまや何ら積極的な価値を提供していないとすら言える。

ここで「都市部」と対比されているのは「山奥」「雪国」「農村」「山村」だが、この対比はいかにも荒っぽい。雪国にも都市部はあるのだし、山奥の山村はコメの主要な生産地ではない。もちろん、「都市部=東京」と解釈すれば対比は成り立つのだが、コメント欄を見るかぎりでは、むしろ小規模な地方都市を念頭に置いているようにもとれる。これがよくわからない。
社会インフラの効率を最大にするにはどの程度の人口規模/人口密度がいいのかというのは難しい問題で定量的に語ることはできないかもしれないが、それでもある程度のビジョンは示すべきで、それがなければ議論の叩き台にもならないだろう。