絵馬書く美

見出しは、エマ・カークビーの捩りだ。カークビーのことなど知らない人のほうが多いだろうが、案ずるには及ばない。今日はそんな話をするわけではないのだから。


このまえ近くの神社に散歩に行ったときに、とある絵馬を見つけた。【略】その絵馬には、「ここにあるすべての願いが叶いませんように」と、書いてあった。
【略】
これはあれだ。新手の論理矛盾なのではないか?
新手でもなければ、論理矛盾でもない。これは有名な「クレタ人のパラドックス」の変形だ。
……と思ったのだが、もしかすると場合によっては矛盾かもしれないという気がしてきた。ちょっと考えてみよう。
件の絵馬を仮に「呪いの絵馬」と呼ぶことにしよう。また、話を簡単にするために「ここ」とはその神社の領域を、「すべての願い」とはその神社に奉納された絵馬に書かれたすべての願い事を、それぞれ指すものと仮定する。
さて、呪いの絵馬に書かれた願い事が叶うのはどのような場合か。また叶わないのはどのような場合か。

呪いの絵馬の願いが叶う場合
この神社に奉納された絵馬に書かれたすべての願い事が叶わない場合
呪いの絵馬の願いが叶わない場合
この神社に奉納された絵馬に書かれた願い事のうち少なくとも1つの願い事が叶う場合

前者の場合には、「すべて」のうちには当然呪いの絵馬自体も含まれるので、願い事が叶うためには願い事が叶ってはならないというジレンマが生じる。だが、後者の場合には、呪いの絵馬自体が「少なくとも1つ」のうちに含まれるとは限らないので、前者の場合と同じようなジレンマは生じない。
というわけで、呪いの絵馬は、単に絶対に叶うことのないことを願っているだけのことで、ここには何も矛盾はない。
……さて、ここからが本番だ。
もしこの神社に奉納された絵馬が1枚しかないとすれば、どうなるか? もちろん、その1枚とは呪いの絵馬だ。

呪いの絵馬の願いが叶う場合
呪いの絵馬の願いが叶わない場合
呪いの絵馬の願いが叶わない場合
呪いの絵馬の願いが叶う場合

これは明らかに矛盾だ。呪いの絵馬は、絶対に叶うことのない願いと、絶対に叶わないことのない願いを同時に願っていることになるのだから。
また別の例を考えてみよう。もしこの神社に奉納された絵馬が、呪いの絵馬と別のもう1枚しかなくて、そちらには「ここにあるすべての願いが叶いますように」と書かれていたとしよう。こちらの絵馬は「祝いの絵馬」と呼ぶことにする。
すると、呪いの絵馬の願いが叶う場合と叶わない場合はそれぞれ次のようになる。

呪いの絵馬の願いが叶う場合
呪いの絵馬の願いと祝いの絵馬の願いの両方が叶わない場合
呪いの絵馬の願いが叶わない場合
呪いの絵馬の願いが叶うか、または、祝いの絵馬の願いが叶うか、どちらかの場合

前者の場合にジレンマに陥るのは前に見たのと同じ。後者の場合も、もし呪いの絵馬のほうの願いが叶うとすればジレンマに陥るので、願いが叶うのは祝いの絵馬のほうでなければならない。だが、祝いの絵馬に書かれた願い事とは、この神社に奉納された2枚の絵馬の両方の願いが叶うことなのだから、もしこの願いが叶うなら、呪いの絵馬の願いも叶うことになってしまう。これも矛盾だ。
ということは、呪いの絵馬に書かれた願い事は、場合によっては矛盾することもあるということになる。今挙げた例以外にも、矛盾を引き起こすような事例はいくつも考えられるので、興味のある人は考えてみてほしい。