ベストセラーと八方美人

読書を社交に喩えるのはちょっと無茶なところがある。社交とは人と人のつきあいであり、相互に成り立つ関係だが、読書のほうはそうではない。人は本を読むが、本は人を読まない。
だが、無理を通せば道理は引っ込むものだ。ここでは、ベストセラーを八方美人に喩えることにしよう。
八方美人は誰彼なしに愛嬌を振りまく。ぱっと見には好感がもてる。無愛想な人、無口な人、皮肉屋、ずけずけと本当のことを言う無神経な人、お節介な人などなど世の中にはいろんな人々がいるが、そんな人より八方美人のほうが付き合っていて楽しい。
でも、その楽しさはうわべだけのことではないか。無愛想な人は虚辞を口にしないが、八方美人の口から出るのは虚辞ばかりだ。無口な人がたまに発する言葉には重みがあるが、八方美人の言葉には全然重みがない。皮肉屋の人を刺す台詞はしばしば核心をついているが、八方美人の台詞は表層を撫でるだけだ。無神経な人の欠点もお節介な人の短所も、裏を返せば美点であり、長所であるのだから、八方美人への好感も裏を返して考えてみる必要があるのではないか……というのは、まあ言い過ぎかもしれないけれど。
八方美人の美辞麗句は耳に心地いい。でも、その言葉は別に自分にだけ向けられたものではない。八方美人にとって自分とは代替可能なもので、自分に固有の何かを見てものを言っているわけではない。そんな人と通り一遍の社交を続けるのは苦痛だし、時間の無駄だ。最初は取っつきにくくてもゆっくりと時間をかけてより信頼できる人と良好な関係を築き上げたいものだ。八方美人とのつきあいは別に害悪ではないけれど、限りある人生を八方美人とのつきあいに費やす気にはならない。軽くあいさつだけ交わしたら、あとはそっと身を引いて、なるべく八方美人と顔を合わせるのを避けることにしよう。
ああ、ひどい事書いてるなぁ。でも、ほんとの事だ。
さて、いま八方美人について述べたことは、そっくりそのままベストセラーにも当てはまる。そりゃ、最初からそのつもりで書いているのだから当たり前だ。アナロジーが成立しないような要素は抜いてある。
ベストセラーは万人向きで、皆にひとときの娯楽を与える。どうしようもない駄作や愚作がベストセラーになることはほとんどない。大衆はそれほど馬鹿ではない。でも、わざわざ読まなくても構わない。他に読みたい本があるなら、貴重な読書時間をベストセラーに割くのは極力避けるべきだ。本は多く、人生は短いのだから。
ベストセラーを読むことに何か積極的な意味があるとすれば、それはコミュニケーションツールとしての価値であったり、マーケットリサーチのための手段であったり、そういった方面でのことだろう。それは否定しない。そういうものが必要な人はどうぞベストセラーを読んでください。