ミステリの楽しみ

被害者は誰? (講談社文庫)

被害者は誰? (講談社文庫)

読了。
えっと。
感想をどう書こうかな。
…………
(しばらくお待ち下さい)
…………
おお、これでいこう。
「葉山響先生の解説が読めてしあわせです」
…………
………
……

(以下、内容に触れます)
貫井徳郎の本を読むのはこれが初めてだ。正確にいえば、デビュー直後くらいに「創元推理」だったかに掲載された短篇*1を読んだ記憶があるが、内容は覚えていない。
どうして今まで一冊も読まなかったかというと、貫井徳郎がデビューした頃にはハードカバーを買う資力がなく「そのうち文庫が出たら読もう」と思っていたのだが、そのうちにだんだんミステリ読書意欲が失せて、貫井徳郎ブーム*2の頃にはほとんどミステリを読まなくなっていたからだ。そういうわけなので、別に貫井徳郎を特に敬遠していたわけではない。
で、このたび解説にひかれて『被害者は誰?』を買い、一読してみたわけだが、全然つまらないというわけではないけれど、飛び抜けて面白いとも思わなかった。一言で言えば物足りない。
いろいろと工夫や仕掛けがあり、プロットの捻りもきいているのに、どうして物足りないという印象を受けたのだろう? 自分でもよくわからないのだが、読後あらためて考えてみるとどうも謎解きの部分に不満が残ったようだ。「ようだ」という書き方は他人事みたいだが、実際、自分自身の感想であっても自分にとって完全に透明だというわけではないので、自分が抱いた感想の理由を考察する場においては、他人のそれを考察するのと基本的には同じ手続きが必要となる。違っているのは、他人の感想の理由を考察する場合よりは手持ちのデータがやや多いという程度だろうか。
それはさておき。
集中の作品について個別に簡単に触れておく。

「被害者は誰?」
事件の構図は簡単なので数ページ読めば被害者が誰かはわかる。むしろ読みどころは三人の身勝手でいやらしい女の言動の描写で、これは非常に面白かった。
「目撃者は誰?」
都筑道夫ショートショートを引き延ばしたような感じの作品。
「探偵は誰?」
前2篇を読んで作者の手癖のパターンを掴んでいれば、探偵役当ては簡単だ。作中作の犯人当てのほうはわりと気が利いている。
「名探偵は誰?」
良くも悪くもボーナストラック。

「探偵は誰?」の作中作を除けば、謎解きの過程にはあまり重点が置かれていない。「目撃者は誰?」と「名探偵は誰?」の場合は、謎解きというより種明かしだ。いちいちねちねちとロジックを積み重ねて説明されるよりもすぱっと一発種明かししてもらうほうが気楽でいいという考え方もできるのだが、そのような類の小説にしては少し長すぎるのではないかと思った。名探偵の吉祥院先輩と後輩の桂島君の掛け合い*3でページ数を食ってしまっているのがその一因だろう。シリーズキャラクターに見せ場を与えるという目的のために描写を費やしているのだとすれば、それはそれなりに意味のあることなのだろうが、もしそうだとすれば肝腎の名探偵の推理が貧弱なのが気になる。
そこで、解説を読み直してみると、


マガーが『被害者を捜せ!』を発表してから半世紀が過ぎたが、正面から彼女の作品に挑戦した作例は驚くほど少なく、本書は貴重な試みと言えるだろう。とは言え、本書から浮かび上がる作者のイメージは、本格ミステリとして緻密なロジックを組み立てようと眉根に皺を寄せる気難しいものではなく、「みんな騙してやる」という情熱のもと、常に読者の意表を衝こうと努める悪戯っ子の姿だ。それがまた微笑ましい。名探偵の推理が微妙に外れていることがあるのも、御愛嬌というものだろう。
な、なるほど。これは絶妙なコメントだ。
先に解説を読んであったのだが、本文読了後に解説を再読してみると、初読時には見落としていた微妙な言い回しの含みに気づき、感心させられた。芸が細かい。
また、そのような曲芸的な要素を抜きにしても、この解説には見るべき点が多い。たとえば、リファランス。上でも述べたが、表題作を読んでいちばん面白いと思ったのは三人の女性の生態なのだが、そのような読者に対して次に読むべき本をきちんと示してくれているのだ。

たとえば、表題作における手記の執筆者、そして執筆者を悩ませる三人の女たちの造形は、二〇〇六年四月現在における最新作『愚行録』(二〇〇六年/東京創元社)を思わせる。『愚行録』は一家惨殺事件を背景に、市井の人びとのさまざまな<愚行>を完膚なきまでに描き出した作品だが、本書の表題作は、コミカル・タッチでありつつも、あの戦慄の作品の雛形とも言えるべき性格を有しているのだ。
とはいえ、貫井徳郎の初読者がいきなり最新作に手を出すのもどうかと思うので、まずは『慟哭』あたりからぼちぼちと手をつけていくことにしよう。
最後にもう一度『被害者は誰?』に立ち返って、気がついたことを書いておくことにしよう。この本に含まれた作品には、カットバックや視点の切り換えが多用されている。たまたま物語構成上の都合でそうしているのか、それともこれが貫井徳郎という作家の地なのか、この一冊だけでは判断がつかない。これから他の作品を読み進める際には、この点に注意しながら読むことにしようと思う。

*1:中篇だったかもしれない。

*2:というほどかどうかはわからないが、『慟哭』の文庫版はベストセラーになり、累計で50万部に達したというのだから、現代日本のミステリ作家のうちでもトップクラスの人気作家なのだろう。

*3:どうでもいいが、この二人の関係はかなり妖しい。