土岐をかける少女


神をも恐れず、8/31締め切りの電撃hpの短編小説賞に送ってみるつもりなので、突っ込みとかダメだしとか、出来ればいろいろお願いします。
というわけで、白翁氏渾身の力作、夏色のモンタージュを読んで突っ込みを入れることにした。
以下の文章を読んでみようという奇特な方は、まず「夏色のモンタージュ」を先に読むように。
まず最初にひっかかったのは、次の箇所だ。

わたしはそう思っているし、それを続けてきた。でも、中学が始まったその最初の日から、わたしが不登校を始めたわけじゃない。あの事件さえ起きなければ、わたしは今でも学校に通えていたのかなと思う。
この段落の直後に◇という記号が入り、場面が変わる。ああ、ここから「あの事件」の回想が始まるんだな、と思う。
あれ?
一行あきの部分まで読んでみると、どうも「あの事件」のことを語っているのではないようだ。ということは、謎の写真を撮影した日の回想だろうか? いや、カメラが違う。最初、現像シーンから始まったのだから、謎の写真を撮影したのは銀塩カメラだったはず。なのに、このシーンではデジタルカメラを持っている。
続けて一行あきの後の文章を読む。

あれからのことである。わたしは悩んで悩んで悩み抜いて、頭がくらくらするくらいまで考えてみたものの、結局その写真の謎に答えを出すことができなかった。わたしは無理して思索を広げ、オカルトまがいの方向にまで答えを求めた。──が、魔法だ、呪いだ、宇宙人による人体改造だということを考えはじめてしまい、この方法じゃ答えは出ないな、と途中ではたと気がついた。
「あれから」っていつから?
どうもよくわからない。
戸惑いつつ、次の一行あきのところまで読み、その次の文章でようやく時系列が見えてきた。
ひとつめの◇のすぐあとに続く文章は「あの事件」とは何の関係もなく、冒頭の場面から数日後のことなのだろう。この節で主人公は謎の写真を撮影した田舎町に再度訪れていて、その理由を説明するために挿入されたのが「あれから」以下の文章だ。そう考えると話が繋がる。
では、「あの事件」は?
ずっと後、主人公がおばあさんに会って、誠にも会って、お巡りさんに会って、学生*1に会って、ようやく

敬語を使うセーラー服が、わたしの周りを取り囲む。ふっと記憶がまだわたしが学校に行っていた中一のころにもどった。
という文章に続き、回想が始まる。
ここまで読んで、若桜木虔は正しいことを言っていたのだ、と初めて気づいた。『プロ作家になるための四十カ条』を読んだときには、なぜカットバックや回想シーンにあれほど目くじらを立てるのか、ピンとこなかったのだ。
「夏色のモンタージュ」の場合に、完全に時系列に沿った叙述を行おうとすれば、まずは「あの事件」から始めることになる。だが、そうすると、「A」とか「B」とか書いただけで読者に不審がられるから、まずは現在の美加の状況から初めて、回想シーンで「あの事件」を語るのは当然だ。だが、2年前を振り返るシーンと数日前を振り返るシーンの両方が67枚の小説の中に出てくるとなると、これは「時系列の乱れ」としか言いようがない。15歳の美加の記述はすべて起こった順に並べ直したほうがいい。
また、最初にひっかかった「あの事件」だが、この言葉を出してすぐに場面を転換するなら、そこに回想シーンを放り込んだほうがわかりやすい。ただ、読者がもう少し主人公に馴染んでから回想シーンに進むほうが効果的なので、その意味ではちょっと早すぎる。では、どうしたらいいのか?
う〜ん。
「あの事件」をゆるめて「ある事件」にしておくとか……。
あまりぱっとしない。
まあ、この文章は突っ込みを入れるのが目的だから、代替案まで手が回らなくても仕方がない。
さて、叙述の順序を別にすれば、この小説はかなりよく書けている。細かいことをいえば主人公の名前が「美香」だったり「美加」だったりするのはいかがなものか、とか、その種の突っ込みはいくつかできるのだが、そんな大人げないことは書かない。もう書いてしまったが……。
もう一つだけ言うなら、小説のテンポを大事にしてほしい。主人公が誠に背負い投げを食らわせた後、作者が読者に背負い投げを食らわす、という趣向だが、この技はスピードが速ければ速いほど切れ味が増す。

──少なくとも、いま表に出しているわたしでは。
しょうがない、猫を脱ごうか。これ以上彼から聞きだすべきことはないし、彼の場合は情報漏れの恐れもない。わたしが警戒されてしまうというような、危険性の芽はないのだ。
わたしは軽く猫背のように体を丸め、くつくつと笑いだす。
ひとたびこれを書いたら、読者が不審に感じて身構える前に一気にカタを付けるべきだ。実在しないアドレスがどうとかこうとかの説明はばっさり切って、ゴールまで走り抜けるべし。最小限の伏線の回収だけにすれば*2終盤は今の半分に縮められるはずだ。
「もう一つだけ」と言っておいて付け加えるのもどうかと思うが、さらにあと二つ指摘しておきたい。どちらも終盤に関することだ。
一つは、世間に誠の存在を認識させる手段として、なぜ「怪盗」なのか*3、ということ。主人公が、「怪盗」を閃いたきっかけが前段にあるほうが望ましい。
もう一つは中学生がいきなり大学院に飛び級*4できるのか、ということ。基本的には現在の現実の日本を舞台にしている*5のだから、誠のエピソードはともかく、美加または美香の側には「現実にはありそうもないが制度的には不可能ではない」という程度のリアリティがほしい。なお、美加または美香の天才性を強調するなら、大学院生より大学教授のほうがいいかもしれない。
以上、いろいろ書いたが、突っ込みとしてはまだまだぬるい。この文章をここまで読んだ人の中で「自分ならもっと厳しい突っ込みを入れられるぞ!」と思った方は、ぜひ実行してもらいたい。なに、遠慮はいらない。どうせ他人事だ。

補足

大学院入学資格は学校教育法第六十七条第一項により次のように規定されている。

  • 第五十二条の大学を卒業した者
  • 文部科学大臣の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められた者

前者は明らかに該当しないので、後者によることになる。「文部科学大臣の定めるところ」とは具体的には学校教育法施行規則第七十条のことだ。その第六項に曰く

これなら年齢も学歴も関係なく大学院に入学できる。
ちなみに大学教授の資格のほうだが、大学設置基準第十四条各号で定められている。その中には

  • 芸術、体育等については、特殊な技能に秀でていると認められる者

とか

  • 専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者

というものもある。どうも教授になるために必須の資格というのはないようだ。案外、大学院に入るよりこっちのほうが簡単かも。

*1:法律用語としての「学生」は大学や短大に在学している者を指す。中学生や高校生は「生徒」、小学生は「児童」だ。小説の文章で法律の用語法に従う必要はないが、多少違和感がないでもない。

*2:むろん、そのためには長々と説明する必要がないように事前にきっちりと伏線を張っておく必要があるわけだが。

*3:アルファブロガー」じゃダメなのか。

*4:中学校と大学院は別の学校なので「飛び級」というのは本当はおかしいのだが、台詞の中で出てきた言葉なので、特にこだわる必要はないだろう。と言いつつ、こんな註釈をつけてしまったが。

*5:ただし、現実には中央線には「土岐」という駅はない。「土岐市」が正しい。