あるウェブ小説の感想

これから『桐原息吹の憂鬱』という小説の感想を書くことにする。だが、その前にまず立ち位置の確認から。
そもそも、なんでこの小説を読もうと思ったかというと、白翁氏が感想文を書いていたからだ。氏は今月末〆のコンテストに応募する予定の小説を抱えているところなのに、のんきに他人の小説の感想など書いている暇があるのか、とツッコミを入れるつもりだったのだが、途中で気が変わった。白翁氏が他人の小説にどうコメントをつけているのかに興味が移ったのだ。それによって、氏の自分自身の小説に対する考え方も垣間見ることができるかもしれないので。
つまり『桐原息吹の憂鬱』を読んだ理由は、評者への関心によるもので、作者への関心によるものではない。ウパ日記の存在は知っていたけれど、実を言えば昨日まで定期巡回していなかった。当然、ウーパー氏についてもプロフィールに書かれている以上のことは何も知らない。
さて、『桐原息吹の憂鬱』は初めて書いたライトノベル*1だそうだ。これ以前にライトノベル以外の小説を書いた経験があるのかどうかは知らないが、もしこれが本当に生まれて初めて書いた小説だとするなら、ちょっと驚くくらいうまく書けている。好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものだ。もし今誰かに「これと同じレベルの小説を書いてみろ」と言われても、とても書ける気がしない。
というわけで、以下の文章は、自分では小説を書く技能もなければ気力もない人間が、ただ読者の立場から言いたい放題書きちらかしたもの*2だ。以上、ご了解願いたい。
まず、特に自分で気になっている部分として挙げられている8項目について、それぞれコメントする。

意味の分からない表現があるか
作中の世界設定に基づく用語、たとえば「贖物使い」とか「Cクラス」などはもちろん意味がよくわからないが、それ以外では特に首を傾げる表現はなかった。
最後、余韻を残すためにあっさりと書いたけど、あっさりすぎないか
別にあっさりしすぎているということはないが、余韻があるとも思わなかった。というか、第二章に続くのだから、ここで余韻を残してしまってはまずい*3でしょう。
一カ所、回想シーンで過去に飛ぶけど、混乱しないか
特に混乱はしない。ただし、息吹と柚美の出会いのシーンはその後の展開に直結しないので、あえて挿入する必要はないように思う。もし、まだ書かれていない第二章以降でこのエピソードが生きてくるのだとすれば、第一章の後に配置してもいいのではないか。
殆ど舞台が一カ所で固定されているが、退屈しないか
校舎裏→下校途中→息吹家の玄関前、と移動しているので、舞台が固定されているわけではない*4。多少間延びした印象を受けたが、それは場面構成が原因というより文章量や描写方法によるものだろう。
豪雨の雰囲気が出ているか
あまり出ていない。このシーンでは周囲の情景の描写よりも会話の流れを読み取るほうに意識が集中していた。雰囲気を出したい/出す必要があるなら、登場人物を少し黙らせて天候描写を集中的に放り込むべきだろう。ただし、そうするとストーリーの流れを止めることになるので、バランスが難しい。
敵の名前が不明なまま終わっているが、気にならないか
「ここは一旦名無しのまま引き上げて、第二章以降で再登場するときに名前が出てくる」と了解しているので、特に気にならない。
ウーパーだから(知人だからとか、気に入っているブログの管理者だからとか、ネタだからとか)という理由を抜きにして、続きを読みたいか
上記のとおり、作者と親交があるわけではないので、そのような要素は最初からない。その上で正直な気持ちを言えば、特に続きを読みたいとは思わない。理由は後述する。
アイギスの盾やその他諸々で、神話ネタだと分かってしまうか
神話のことはよく知らないので元ネタはわからなかった。

とりあえずざっと回答してみた。続いて、叙述スタイルについて気になったところを述べてみる。
この小説の「プロローグ」はまず一人称の「私」の視点から始まる。そこで一人称小説だと思って読み始めるが、すぐにこれが夢だと判明する。では、現実はどうかといえば一人称ではなく三人称だ。その視点人物は夢を見ていた息吹だから、ここで人称を変える意味がよくわからない。夢の中の「私」が息吹本人ではないらしいということをほのめかす記述が後のほうにあるので、夢のシーンで「私」のかわりに「息吹」と書いてしまってはまずいのかもしれないが、それなら「彼女」でいいのではないか。夢の中の「私」が実は赤ん坊の父親だった、という叙述トリックを仕掛けるつもりなら別だが。
続いて第一章も基本的には息吹の視点で叙述されている。「基本的には」と書いたのは、ところどころ傍観者的な記述が紛れ込んでいるからだ。もし「息吹」をすべて「私」に置き換えて一人称の叙述に変換したら浮き上がってみえるだろう。実際には三人称だから、それほど気にはならないが。
とはいえ、息吹が大蛇にのまれるシーンだけは、さすがにどうかと思った。


 大蛇の口が迫る。
 息吹は、柚美に気を取られていたせいで反応が遅れる。
 アイを押しのけようとするが、間に合わない。
 男が何かを叫ぶ。
 大蛇の醜悪な口から涎が垂れ、息吹の頬にかかる。
 アイを強く抱きしめた。
 大蛇の口が閉じる。
 グニュルと、ビニルボールを裏返したような音がした。
 息吹とアイがいなくなる。
 抉れた地面だけが残った。
ここでは大蛇の口の中で息吹が見聞きしたもの*5や感じたことを書くという流れになるのではないだろうか? このシーンで「アイギスの盾」が発動するようだが、それの直接描写を避けたいということなら、また別の工夫がいる。ここで一行あけて場面転換し、柚美の視点の叙述に切り換えるとか。ちょっと安直か。
ライトノベルはあまり視点の問題を重視しないようで、プロ作家が書いた小説でも結構いい加減なものがある。また、いかなる場合でも厳格に一場面一視点という原則を守らなくてはならないというわけでもなく、視点人物に密着した叙述からカメラがひくように徐々に視点人物の内面描写を減らしていき、傍観者の視点、さらには別人の視点へとなだらかに移行するという手法*6もあり得る。ただ、いきなり高等テクニックを使うより、まずは原則を守って書くほうがいいのではないだろうか。
次に文章の配置と分量のバランスについて。
一読してみて、上でも書いたとおりやや間延びしているような印象を受けた。パソコンの画面で読むのと紙媒体で読むのとでは、スピードも目の疲れ方も違うので、そのせいもあるのかもしれないが、それ以外の理由としては、本筋と直接関係のない会話が多いという点が挙げられるだろう。息吹と柚美の掛け合いはコミカルでそれなりに楽しいのだが、後半のバトルシーンとは直結しない。登場人物紹介も兼ねているので、ばっさり切って捨ててしまうことはできないにしても、もう少し短くまとめたほうがいいのではないかと思う。また、これも先に述べたことだが、柚美との出会いを回想するシーンはここに挿入する必要はない。ここではいけない、ということもないのだが、この回想シーンを挟んで二人は校舎裏から帰り道へと移動していて、その間がぽっかりと抜けてしまっている。アイの登場、そしてバトルという非日常の前に二人の日常*7を印象づけておくなら、学校を出るシーンも欲しい。といっても、全体とのバランスも考えると、ここにあまり長文を費やすわけにはいかないし、難しいところだ。
あとは、語句の使い方とか、そういった細かなレベルの話になってくる。いくつか誤字に気づいたが、いちいち指摘するのはやめておいて、そのかわりに感心したことを書いておく。
この感想文を書くために『桐原息吹の憂鬱』を読み返してみて、回想シーンの地の文で「看護師」、柚美の台詞で「看護婦」と言葉が使い分けられているのに気づいた。うかつにも初読の際には気づかなかった。まあ、気づいたとしても読者にとって特にメリットがるわけではないのだが、この使い分けに見られる作者の細やかな配慮は注目に値する。現在の日本では、従来「看護婦/保健婦助産婦」と呼ばれた職業はそれぞれ「看護師/保健師助産師」と名称を変更しているが、まだ一般にはその呼称が浸透しているとは言えない。だから、会話文では「看護婦」のほうが自然だ。たまに、地の文だろうが台詞だろうがお構いなしに機械的に文言の統一を図った小説*8を見かけるが、小説は論説文ではないのだからこんなことではいけない。だいたい……*9
さて、上で「後述する」と書いておきながら放り出したままになっていたこと、すなわちこの小説の続きを読みたいとは思わない理由について書いておこう。なお、「この小説の続きを読みたくない」と思っているわけではないので、誤解なきよう。
作者はライトノベルが好きで好きでたまらない人なのだろう。ウパ日記の過去ログを遡って読んではいないが、ここを見るだけでよくわかる。だから「自分が読んで面白かったライトノベルのようなものを自分でも書いてみたい」と思ったのだろう。
だが、「既成の面白いライトノベルと同じような面白さをもつ小説」と「既成の面白いライトノベルと同じような小説」はもちろん異なる。「既成の小説と同じような小説」は俗に「コピー」と呼ばれる。ほんの少しでも見劣りするところがあれば、「劣化コピー」となる。世間の目は厳しい。
『桐原息吹の憂鬱』はまずタイトルの段階でダメだと思った。「主人公の名前+の+漢字二文字」というだけでもアレなのに、その二文字が「憂鬱」だと読者が『涼宮ハルヒの憂鬱』を連想するのは避けられない。内容は別に「ハルヒ」っぽくはないのだが、別にタイトルと内容のギャップが売りになっているわけでもない。今はまだ仮題のようだが、完成の暁には改題することを薦めたい。もちろん『桐原息吹の退屈』とか『桐原息吹の暴走』などもダメだ。
内容を見ると、何というか、いわゆるひとつの「現代学園異能」っぽいというか、いやその、そのまんまというわけではないだろうが、まああまり目新しくはない。この先どうなるのかはわからないが、たぶん息吹の出生には秘密があって、敵対する二つまたはそれ以上の組織があって、登場人物にはそれぞれ異能があって、息吹はアイのガーディアンか何かに宿命づけられていて、息もつかせぬ剣戟があって、何か危機が生じるけれども知恵と勇気と幸運で乗り切って、どうにかして当面の危機は去るが敵の本体を根絶やしにしたわけではなく、次巻ではさらに新たなる敵が……というような展開を想像してしまう。この想像が当たっているかどうかは問題ではない。問題は、第一章までを読んだ段階でその程度の貧弱な想像しか読者に与える余地がないということだ。
もし、この小説が全部書き上がった状態で読んでいたなら、たぶん第一章で読むのをやめることはなかっただろう。ありふれた物語は普遍的な面白さを内包しているからこそありふれているわけで、それはそれなりに楽しめるものだ。「この小説の続きを読みたくない」と思っているわけではないというのはそういう意味だ。でも、第一章でいったん区切りをつけたところで「この続きが読みたいですか?」と訊かれたなら、「特に続きを読んでみたいと思わせられるほど目新しく興味を惹く要素はありませんでした」と答えるしかない。
たぶん、この小説のプロットは最後までできているのだろうし、今から大幅な変更は不可能たろう。でも、小手先の、こけおどしの、あざとい方法であっても、読者に「何かこの先に凄いものが待ちかまえているかもしれない」と思わせる要素は必要で、今からそれを付け加えることは不可能ではないと思う。それには、第一章は本筋に入っているからそのままにして「プロローグ」を差し替えるのがいちばんだろう。具体的にどうすればいいのかという代替案はないが、大雑把なイメージとしては「ふつうライトノベルでは出てこない舞台/設定/人物」を出して読者の目を惹いておいて、「第一章ではいきなりふつうのライトノベルっぽくなったけど、これとプロローグはどう結びつくのだろう」と思わせることができれば、まずは成功だ。最後まで読んでプロローグと本篇に全然関係がない*10ことに気づいても、後の祭りだ。
といっても「ふつうライトノベルでは出てこない舞台/設定/人物」を思いつくのがまた難しいわけで、言うほど簡単にできることではない。こればかりは作者本人が精進するとかないわけで、余人がとやかく言えることではない。
でも大丈夫だ。断言しよう。
根拠は……そう、数年前に読んだウェブ小説だ。その小説は中世風ファンタジー世界を舞台としたありきたりの小説で、主人公が盗賊だというのはちょっと目新しかったかもしれないと思ったが、よく考えればRPGでは盗賊はポピュラーな職業だし、キャラクターも類型的で、ストーリーは凡庸で、おまけに文章がとてつもなくアレで、結局最後まで読み通すことができなかった。「ああ、こんな小説を書いているようじゃ(以下略)」と思ったものだ。その小説に比べれば『桐原息吹の憂鬱』は段違いによく書けている。だから*11大丈夫だ。

*1:ライトノベル」というのは「ミステリ」とか「SF」とかのようなジャンル名ではなくて、パッケージも込みにしたカテゴリーを表す用語だと考えているので、絵つきではなく、ラノベブランドから出版されているわけでもない小説にこの用語を適用するのは若干違和感がある。とはいえ、内容をみれば「いかにもライトノベル風の小説」であるのは明らかであり、またこの文脈でジャンル論に踏み込むのは無用な混乱のもととなるので、ここでは「ライトノベル」という語をあまり厳密な意味では用いないことにする。

*2:そんな感想文に何の意味があるのかと思う人もいるだろうが、ウェブ小説にどっぷり浸かっているわけでもなく、作者と個人的に知り合いというわけでもない者の感想にも稀少価値があると思う。稀少価値だけだとちょっと悲しいが、それはそれで仕方がない。

*3:「余韻」という言葉を「ヒキ」のつもりで用いているのなら、むろん話は別。

*4:ただし、これは「舞台」という語の解釈にもよるだろう。

*5:たぶん真っ暗なので何も見えないとは思うが、大蛇の心臓の鼓動を体内で聞くという描写を入れればおどろおどろしくて雰囲気が出るかもしれない。

*6:どの巻だったか忘れたが、以前『GOSICK』を読んでいて、この手法が使われているのに感心した記憶がある。

*7:柚美の告白というイベントが起きているので完全な日常ではないだろうが、異能バトルに比べれば日常的な場面だとは言える。

*8:具体例は挙げないが、言語表現に関心のある人ならいくつかはすぐに思いつくことだろう。

*9:本題から逸れるので、以下省略。

*10:いや、関係があるに越したことはないのだが……。

*11:「だから」の前に書くべきことを一つ抜かしているので、これでは根拠を十分に説明したことにはならない。が、これ以上は勘弁してください。人間誰しも炎上は怖いのです!!!11