売切御免

先日、会社の近くの自販機で烏龍茶を買おうとしたら「売切」の赤ランプが点灯していた。仕方がないので緑茶を買って飲んだのだが、その時にふと「『売切』と『買切』は対義語じゃないよなぁ。どうしてだろう?」と思った。
ああ、どうでもいいことだ、まったく。
「売切」は「うりきれ」と読み、「買切」は「かいきれ」と読む。送り仮名を省略するから対のような見かけになるが、「売り切れ」「買い切り」と書けば「れ」と「り」の違いがあるので、二つの語の間に対応関係がないのは一目瞭然だ。「売り切れ」は「売り切れる」の、「買い切り」は「買い切る」が名詞化したもので、語の成り立ちは同じだが、もとの動詞を見比べてみれば「切れる」は自動詞、「切る」は他動詞だからはなから違う。
「買い切り」と対になる「売り切り」ということばはたぶんありそうだ。商売をやっている人ならふつうに使っているかもしれない。でも、「売り切れ」に対応する「買い切れ」ということばはどうもありそうにない。「売る」と「買う」は同じ交換を別の視点から言い表したことばだが、完全に対称をなすわけではないようだ。
そういえば、「高い」と「低い」は対義語だけど「高さ」に対して「低さ」は独特な含みをもち、特殊な文脈でしか用いられない。これと「売る/買う」とは似たような構図をもつのかもしれない。
でも、まあ、こんなことは言語学者がずっと昔に気づいていて、しっかりとした研究を行っているのだろう。素人が思いつきであれこれ言うことではないから、この辺で。