とっても変な小説の本の話

取っ手のついた小説の本は作れるかどうか。
ある意味では問題なく作れる。実際に見たことはないが、鍵のついた本は実在するそうだから、本に取っ手をつけるのも技術的に不可能だということはないだろう。現実に取っ手のついた本がないのは、それは単に本に取っ手をつける意味がないからに過ぎない。つけたければ、熊手でも孫の手でもつけられるはずだ。そして、取っ手のついた本の中身が小説であることに何の支障もない。
これは「取っ手のついた『小説の本』」、すなわち「取っ手のついた本であり、かつ、小説の本でもあるという、そんな本」の話だ。
では、「『取っ手のついた小説』の本」すなわち、「小説の本であり、かつ、その小説に取っ手がついているという、そんな本」を作ることは可能だろうか。こちらはちょっと即答できない。この問いに肯定的に答えるためには、取っ手のついた小説が可能でなければならないが、そんな小説がいかにして可能なのかを具体的に示すのは難しいからだ。
もちろん、取っ手と小説が物理的に接合された状態は不可能だ。なぜなら、小説は物理的な存在者ではないからだ。小説には質量も延長もない。小説に取っ手をつけるためのねじ穴をあけることもできないし、接着剤を小説に塗ることもできない。
しかし、取っ手が付随した小説なら何とかなるのではないか、という気がする。実際に可能かどうかは、実際に確かめるしかなく、それには小説を構想し、執筆できる人の助力が必要となる。どなたか、小説の一部として取っ手がついているような、そんな小説のアイディアをお持ちではないだろうか? もしお持ちの方がいれば、ぜひ実作していただきたい。無事完成すれば、あとはそれを本にするだけだ。商業出版は難しいだろうが、同人誌ならなんとかなるかもしれない。
以上の考察をまとめてみよう。

取っ手のついた「小説の本」
そんな本を作る意味があるかどうかは別として、技術的には可能だと思われる。
「取っ手のついた小説」の本
小説に物理的に取っ手が接合している本は不可能だが、取っ手が小説に付随しているような本ならもしかしたら可能かもしれない。

ところで「挿絵のついた小説の本」について語るとき、そこで話題にされているのは「挿絵のついた『小説の本』」なのだろうか、それとも「『挿絵のついた小説』の本」なのだろうか? これは特にライトノベルの特徴づけを巡る議論において重要なポイントになるように思われる。興味のある方はぜひ考えていただきたい。