懐古的回顧

ジョナサンと宇宙クジラ (ハヤカワ文庫SF)

ジョナサンと宇宙クジラ (ハヤカワ文庫SF)

恥ずかしながら「たんぽぽ娘」の現物はまだ読んだことがない。だが、このタイトルを見聞きするだけで、不思議と懐かしさがこみ上げてくる。
たんぽぽ娘」のことは石川喬司の『夢探偵 SF&ミステリー百科』で知った。何を読んだらいいのかについて助言を与えてくれる先達が全くいない環境で孤独な読書生活を送っていた子供の頃、『夢探偵』は間羊太郎の『ミステリ百科事典』と並ぶ導きの星だった。両書とも長らく絶版になっていたが、『ミステリ百科事典』のほうは昨年文春文庫から復刊された。ぜひ『夢探偵』も復刊してもらいたいものだ。
石川喬司の紹介方法は粗筋をきっちりと最後まで書くというスタイルなので、書評や感想文などでオチが命のアイディアストーリーのネタをばらされて興ざめした経験のある人なら眉を顰めるかもしれない。だが、個人的な経験からいえば、『夢探偵』で紹介された小説を後で読んで楽しめなかったということは一度もない。
たとえば、『夢探偵』で「たんぽぽ娘」と並べて紹介していたのはシュペルヴィエルの「沖に住む少女」*1だが、これは数年前に教養文庫版『沖の少女』で読んで感動し、今年出た光文社古典新訳文庫版『海に住む少女』で再読してまた感動した。まだみすず書房版『海の上の少女』は読んでいないが、読めば感動するに違いない。これはつまり、ネタをばらされてもなお味読に耐えうるということだ。
石川喬司はただ漫然と粗筋紹介をしたのではなく、再読、再々読可能な傑作ばかりを選び抜き、かつ、考え抜かれた組み合わせで対比の妙を演出した。これはもうひとつの作品と言っても差し支えない。素人が簡単に真似できることではないし、ましてや石川喬司の紹介をそのままパクってしまう*2などもってのほかだ。
……のっけからかなり脱線してしまった。が、『ジョナサンと宇宙クジラ』の感想を書く前にもう少し横道の話をしよう。
今を去ること一箇月と数日前、前の前に勤めていた会社の先輩から連絡があった。今勤めている会社のすぐ近くに出張で来ることになったので久しぶりに夕食でもどうか、という用件だった。その先輩とは読書の好みが比較的近いので会うたびに情報交換をしているのだが、この時も夕食の前後に書店に行き、「この本がよかった」「あの本は残念ながらここにはない」などと言いつつ、だらだらと楽しいひとときを過ごした。その時、こちらから先輩に薦めた本は『奇想の図譜』と『ヨイコノミライ』と『海に住む少女』で、先輩から薦められたのが『ジョナサンと宇宙クジラ』だった。
『ジョナサンと宇宙クジラ』? さて……どこかでタイトルを見聞きしたことがあるような……。
「ほら、作者のヤングは『たんぽぽ娘』を書いた人」
ああ、なるほど。「たんぽぽ娘」の作者の本か!
合点がいったので、早速先輩の薦めに従い、『ジョナサンと宇宙クジラ』を購入した。
それから月日は流れて11月末を迎えた。
数箇月続いた読書意欲減退期からようやく抜け出しつつあり、『七不思議の作り方』を読み終えたところだった。次はそろそろ非ライトノベルのミステリでも……と思ったのだが、『ジョナサンと宇宙クジラ』を見かけて気が変わった。ミステリよりも読みにくいSF*3を読んでこそ完全に復調したといえるのではないか、と。なお、『ジョナサンと宇宙クジラ』の隣には『ディ……ポ…』*4という分厚い本があったが、そっちは見ないふりをした。
さて、ようやく『ジョナサンと宇宙クジラ』の中身の話だ。
初めて読む作家の本を開いたときには解説ページを最初に開く。『ジョナサンと宇宙クジラ』には久美沙織の解説の前に伊藤典夫の「訳者あとがき」が置かれている。たぶん1977年の旧版と同じものだろう。当然のごとく、『ジョナサンと宇宙クジラ』には収録されていない「たんぽぽ娘」に関するエピソードが語られている。

その後、石川喬司さんと会ったときにも、「あれはおもしろかったよ」という言葉を聞いた。【略】ただ、そのとき石川さんの顔にふしぎな微笑がうかんでいたのを覚えている。【略】それはにこにことした妙に明るすぎる笑みで、「おもしろかったよ」という気のない口ぶりとは、どこかそぐわなかった。石川さん、どの程度この作品が気にいってくれたのだろう。ぼくは疑問に思ったものだ。しかし今になるとわかる(以下はぼくの当て推量であり、事実に反する可能性もあることをお断りしておく)、石川さんの微笑――あれは、文学には縁遠いセンチメンタルな通俗作品に不覚にも感激し、それをほめたとき、思わずうかんだ照れ笑いだったのだ。
ここで再度一箇月と数日前に戻る。先輩との会話の中で「たんぽぽ娘」が出てきたとき、そこから石川喬司を連想して『海に住む少女』を薦めたのだが、その時に先輩が「石川喬司って誰?」と言ったのを思い出した。上で引用した「訳者あとがき」には柴野拓美小隅黎)が<宇宙塵>の編集発行人だとは書かれているが石川喬司が何者であるかはひと言も書かれていない。つまり、1977年当時のSF読者に対しては説明不要の有名人だった*5のだろう。しかし先輩はSFを結構読んでいるはずなのに石川喬司を知らなかった。もしかすると今の若い人*6の間ではあまり知られていない人なのかもしれない。だとしたら寂しいことだ。
……また脱線した。
「訳者あとがき」で

版権の関係もあって、改訳してここに収められなかったのはしゃくだが、今のところは、ぼくの訳でヤングの存在を知った読者が、少なくとも何人かいるという事実に満足しなければなるまい。
と悔しそうに書かれている、この「たんぽぽ娘」は、その後アンソロジーなどには何度か掲載されているものの、ヤングの個人作品集には未収録となっている。解説には

その「たんぽぽ娘」は、残念ながらこの文庫には収録されなかった。河出書房新社が二〇〇三年から随時刊行している作家別日本オリジナル短篇集<奇想コレクション>の巻末広告によれば、やがてヤングの一冊が編まれることになっている。そのタイトルが『たんぽぽ娘』なので、くだんの作品はまちがいなく収録されるだろう。まだ刊行日は未定のようだが、そちらもおたのしみに。
と書かれているが、まだ河出書房新社もうすぐ出る本のコーナーには『たんぽぽ娘』の情報は掲載されていないので、まだしばらく先のことになりそうだ。だが、BAD_TRIPの『ある日、爆弾がおちてきて』の感想文で引きあいに出され、おとといは大祓詞を読んだわ。昨日はホラー、今日は××*7の元ネタともなったこの名作がこのまま埋もれたままということはないはずだ。きっと復活する、と信じて今は筆をおくことにしよう。
……あ、『ジョナサンと宇宙クジラ』そのものの感想を書く前に終わってしまった。

*1:と、つい数分前まで信じ込んでいたのだが、いま確認してみるとタイトルに言及しているだけで内容紹介まではしていなかった。もしかしたら同じ著者の『IFの時代』で紹介していたのを混同したのかもしれない。

*2:ここを参照。

*3:長年ミステリを愛読してきて、SFはさほど愛読はしてこなかったので、両ジャンルそれぞれの固有のコードについての慣れにも大きな差が生じてしまった。もちろん読みにくいミステリもあれば読みやすいSFもあるのだが、おしなべて言えば個人的にはSFはかなり読みにくいジャンルとなっている。

*4:未知の言語で書かれているため、タイトルの一部が読解できなかった。

*5:なお、柴野拓美については、「たんぽぽ娘」の日本初訳を掲載したのが<宇宙塵>だったという話の流れで同誌の編集発行人だと書かれているだけで、石川喬司に比べて知名度の点で劣るということではないと思う。

*6:あまり個人情報は書きたくないのだが、前の前の会社に入社する前にも別の仕事をしていたこともあり、先輩のほうが実は年下なのだ。

*7:少し前まで「おとといはラノベを読んだわ。昨日はホラー、今日は××」というタイトルだった。