タイムスリップと伏線


主人公が江戸時代にタイムスリップして、そこでいろいろな経験をして無事に現代にもどってくるというストーリー。実は、タイムスリップというのは嘘で、江戸時代を再現した町と役者によるものだっという謎解きで、伏線は女性がお歯黒をしていないというもの。
これを読んであるミステリ*1のことを思い出した。
そのミステリの舞台は1943年のロンドンで作中作を含む入れ子構造になっている。作中作のほうも場所は同じロンドンだが、時代は19世紀後半ということになっている。ところが、その作中作に奇妙な建築物が登場する。

リージェント・ストリートに面したアールデコ様式の外壁は、道沿いにゆるやかな曲線を描いていて、さながら巨大な客船が停泊しているかのよう。舳先にあたるのが正面玄関で、真向かいにはオールソウルズ・チャーチの尖塔と円形柱廊が、新旧の対照を際立たせていた。
ロンドンの地理には詳しくないので、リージェント・ストリートとかオールソウルズ・チャーチとかのことはさっぱりわからないが、ここにあり得べからざるものが紛れ込んでいることにはすぐに気がついた。アール・デコは20世紀に入ってから、アール・ヌーボーの後に流行したデザイン様式なので、19世紀後半にアール・デコの建物があるというのはおかしい。
そこで「あ、これは作者がミスったか」と思いつつ読んでいくと、別の箇所で作中作の作者が時代考証をミスしたという記述があった。1850年に死去した実在の人物をついうっかりと作中作*2に登場させてしまったのだ。だが、作中作の作者は自分の失敗を放置するのではなく、それを転じてトリックの伏線にする。作中作の時代背景は実はヴィクトリア朝ではなく、作中の現実と同じ1943年だった、という大どんでん返しを演じてみせたのだ。
これは叙述トリックによく似ているが、読者だけでなく作中作の登場人物も時代を誤認させられているので、厳密にいえば叙述トリックではないように思う。ちなみに、ある事情によりこの作中作には作中の読者は存在しない。
妙に紛らわしい書き方をしたが、今ここで紹介した粗筋では「ある事情」の部分を故意に隠している。これもまた一種の叙述トリックといえなくもないかもしれないが、「叙述トリック」という語の濫用だといえなくもないかもしれない。いずれにせよ、叙述トリック云々の話は本題とはあまり関係がないといえなくもないかもしれない。
閑話休題
このミステリを最後まで読んでも「アールデコ様式の外壁」には一度も言及されず、その位置づけが疑問として残った。思いついた可能性は以下のとおり。

  1. これは作中作の時代背景に関わる仕掛けとは何の関係もなく、作者の単純ミスである。
  2. これは作中作の時代背景に関わる仕掛けを見抜くための伏線のひとつだが、作中作の作者が回収し損ねた。
  3. 実はヴィクトリア朝時代にもアール・デコの建物があったのだが、「アール・デコ1920年代以降の様式」という固定観念のせいで、作者がミスをしたのだと勘違いした。

さて、正解はどれでしょう?

*1:思いっきりネタばらしをするので作者名もタイトルも伏せておく。

*2:もちろん作中作の作者にとっては、それは単なる作品であり、作中作であるわけではない。