「コミックスの著者名クレジットはけっこういい加減だ」と思った話

ふと思ったのだが、「コミックス」というのは変な言葉だ。「コミック」を複数形にするとなぜ単行本の意味になるのか。だが、あまり言葉尻にこだわっても仕方がない。
さて、見出しに掲げたようなことを思ったのは、この記事を読んだのがきっかけだ。要するに――と要約してみせるほどの長文でもないのだが――あるマンガの脚本担当が連載途中から交代になり、本来なら単行本に二人の脚本担当の名前を併記するところなのに一人分しか記載されていない、という話だ。
このマンガ*1は、ある有名ゲームがベースになっているので、もともと「監修・脚本・作画」と三人分の名前がクレジットされているという事情もあるのだが、それにしても関係者の名前を一人抜いてしまうというのはえらくぞんざいなことだ。小説では考えられないことだ……と思ったが、よく考えるといくつか例があることを思い出した。たとえば『新巌窟王*2とか『復員殺人事件』*3とか。これは困った。予定*4が狂ってしまった。仕方がない。無理に「論」に仕立てるのはやめておこう。
さて、長篇マンガの連載中に原作者またはストーリー担当者、あるいは作画担当者が交代した例はいくらでもあるのだが、上で紹介した記事を読んで真っ先に思い出したのは、昨年発行されたあるマンガ単行本*5だ。そのマンガは連載第2回目まで某小説家が原作を担当していたが、3回目から別の人に交代した。コミックス1巻には4話まで収録されているので、単純計算では原作の半分は某小説家に帰せられる*6はずだが、単行本のどこにも某小説家の名前が見あたらなかった。何か表沙汰にはできない特殊事情があって、某小説家の名前は隠蔽されたのだろう、とその時は思った。
だが、出版社には「隠蔽」などといった大それた意図はなかったのかもしれない。もしかすると、「1巻と2巻以降を棚に並べたときに、1巻だけ別の名前が混じっていると見栄えが悪い」という程度の気持ちで不掲載としたのではないか。
もちろん、本当のところはどうだったのかということは関係者にしか(場合によっては関係者にも)わからない。だが、このマンガの出版元は、先に言及したマンガと同じ*7なので、著者名のクレジットについての考え方も似ているのではないかと思った次第。
ところで、先に言及したマンガの前脚本担当者のことは全然知らなかったのだが、調べてみると別名義で小説も書いているようだ。後で言及したマンガの2話目までの原作者が小説家だということは既に述べた。2人の小説家としての活動歴をみると、とある出版社のとあるレーベルから2005年に本を出していることがわかった。ということは、「とある出版社のとあるレーベルから2005年に本を出した小説家が某出版社のマンガに関与した場合、連載途中で降板することになる」という仮説を立てることができるのではないか。むちゃくちゃ強引な仮説だけど。せめて、あと一例あれば……。
「某」や「とある」ばかりの非常にわかりにくい文章でごめん。

*1:リンク先ではタイトルに言及していないので、ここでも言及を控える。適切な検索語を用いればすぐに見つかるはず。

*2:谷譲次の遺作。連載終盤で作者が死んでしまったので、後を別の人が書き継いで完成させたのだが、誰が書き継いだのかは忘れてしまった。ご存じの方はご教示ください。

*3:坂口安吾の長篇推理小説。掲載誌が廃刊されて中絶したものを後に『樹のごときもの歩く』と改題のうえ、高木彬光が完成させた。版によっては連名になっているものもある。たとえば、昨年末に刊行された東洋書院版『樹のごときもの歩く』など。

*4:最初の予定では、マンガ業界の特殊性を小説業界と対比させながら述べていくつもりだった。

*5:別にタイトルを伏せる必要もないのだが、上の例でタイトルに言及しなかったので、バランスのためこちらもタイトルを書かないことにする。

*6:本当は初期設定のことも考慮すべきだろうが、設定とプロットのウェイトがよくわからないので、深入りしない。

*7:ただし掲載誌は異なる。