本の面白さはそれぞれの読者の価値観で決まることではない

……というようなことを書こうと思っているのだが、今日はこれから始発電車に乗って天橋立へ行く予定で、帰ってくるのは深夜だから、きちんとした文章を書く余裕がない。明日以降にまとめることになるが、その前に忘れてしまったり意欲が萎えてしまったりする恐れもある。そこで、思いつきを箇条書きで書き留めておくことにする。

  • 「価値観」という語で端的に指示されるようなものが、果たして一人ひとりの人間にあるものかどうかが疑わしく、価値観に依拠した主張そのものの有意味性そのものにも疑わしさがつきまとう。
  • ある本を読んだときに「この本は面白い」とか「この本はつまらない」と感じるということは、まさにそのように感じるということであって、その人の価値観を本に適用した結果、そう感じるのだと言える根拠に乏しい。
  • 単なる読後感ではなく、内省を経て本の面白さについて何らかの判断を行う場合は、何らかの評価基準に基づいて行うのであり、場合によっては評価基準を差し替えて検討することもあり得るのだから、包括的かつ非随意的な価値観とは同一視しがたい。
  • 非常に稀なことではあるが、ある本を読んで価値観が変わるということがあり、読書経験のほうが価値観より優位に立ち得るということは価値観が一方的に本の面白さを決めるとは言えない。

あ、いかん。そろそろ出ないと電車に乗り遅れてしまう。