谷川流は健在なり
- 作者: 谷川流,いとうのいぢ
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2007/03/31
- メディア: ペーパーバック
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まずは、そのことを素直に喜びたい。
いつものハルヒ、いつものキョン、いつものSOS団とその周辺の人々に加えて、今回は新キャラが何人も登場して賑やかだ。事件は始まったばかりでこの先どう転がるかわからないからあまり迂闊なことは書けないが、お得意のメタフィクション的趣向を盛り込んでいることだし、きっとシリーズ一、二を争う傑作になることだろう。
以下、どうでもいい細かい点について特に脈絡のない感想を箇条書きしておく。
- 11ページで長門が読んでいる「なんか哲学者と画家と音楽家が環になっているとかいうようなタイトルのその本」とは『ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環』のことに違いないが、画家エッシャーと音楽家バッハはともかく、ゲーデルを「哲学者」と呼ぶのは少々ひっかかった。いや、ゲーデルは確かに哲学者でもある*3のだが、「数学者」とか「論理学者」という肩書きのほうがふつうだと思う。
- 82ページ7行目の傍点による強調が何となくエラリー・クイーンっぽいと思った*4ら、241ページでクイーンに言及していた。谷川流がクイーンファンなのは周知のことなので驚くべきことでもないのだが、こういう記述を見つけると古い知り合いに会ったようで何となく気分がいい。
- 115ページの例のアレは、ここ【未読の人は注意!】に書かれているように、何らかの伏線になっているのだと考えられる。アレを一定の配列で碁盤上に並べれば一つの図柄になるという説があったが、もしかすると何か関係があるのかもしれない。
- それにしても、108ページの「詰め碁」*5はひどい。詰碁に「黒の三目半勝ち」などあるものか。
- 第二章と第三章は視覚的効果がやや地味。上下分離方式*6のほうがハッタリが効いて面白いのだが、それをしなかったのは文章量のバランスに配慮したせいか、それとも別の理由*7があったのか。
- (未知の言語で記述されているので解読不能)
*1:といっても一年足らずだが。
*2:でも、同業者にさえも「原作者」と認知されているのは、ちょっぴり哀れだ。リンク先記事の下部で「原作者」への補足説明があります。あわせてお読み下さい。(2007/05/01)
*3:ゲーデルの哲学者としての業績は『ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)』を参照のこと。この本は長門有希の100冊にも選ばれている。
*4:傍点を振ってあればいつでもクイーンを連想するわけではありません。念のため。
*5:99ページでは「詰碁」となっていて表記の不統一も気になるところだ。
*6:今思いついた言葉だが説明の必要はないだろう。その昔、広瀬正やかんべむさしが使った手法だ。なお、言うまでもないが公共インフラ整備・管理の上下分離方式とは無関係。
*7:たとえば、書かれざる第三のパートが同時進行している場合など。