事実以上でも以下でもなければ、事実ですらない

べつにオタクでなくとも社会に出れば何かしらの軋轢はあるわけで、そのたびにいちいち激怒していては切りがない。むしろ多少の偏見や軋轢には揺らがない確固たる自分を作るほうが大切だと思う。

むしろ「多少の偏見や軋轢には揺らがない確固たる自分」というものをいかにして作ればいいのかがわからず途方に暮れるのがオタクというもの*1ではないだろうか、とか、オタクが社会から受ける偏見やオタクと社会との間の軋轢の程度は果たしてオタクでない人が社会から受ける偏見やオタクでない人と社会との間の軋轢と同程度なのだろうか、とか、いろいろ疑問点もあるのだが、ともあれ「いちいち激怒していては切りがない」という点には賛成。過剰に意味づけをしたがる人のことなど、放っておこうではないですか。

*1:というふうに断定的に言ってしまうと語弊があるかもしれない。何事にも例外はあるのだから。この文章は事態を少し誇張していることを含んでおいて頂きたい。