記事の見出しに「支倉凍砂」と書くとアクセス数がのびるらしい

最近、アクセス数が不調なので、早速試してみることにした。さて、結果は如何? どきどき、わくわく。
でも、よく考えてみれば*1見出しに「支倉凍砂」と書いて一時的にアクセス数が増えたとしても、記事そのものが評価されたということになるわけではない。本当にアクセスしてくれた人に評価してもらおうと思ったら、何か面白い話題を提供しないといけない。
どのような話題が面白いのかは人それぞれだろうが、「支倉凍砂」につられてアクセスした人々の共通の関心事といえば、なんといっても支倉凍砂にまつわる話題だろう。でも、『狼と香辛料』シリーズ各巻の感想はもう書いた*2し、自称「支倉凍砂」の話も前に書いたので、今書ける話題は特にない。
うん、何もない。全く何もない。ほ、本当だよ。某情報筋から「これは支倉凍砂本人もまだ知らないはずの情報だけど……」と前置きしたうえで教えてもらった情報なんかないんだからねっ!
冗談はさておき。
本当に何も書くことがないので、全然関係ない話題。知った順番とは違うが時系列順にリンクしてみよう。

本というものは要するに紙の束で出来ているので、よほど特殊な加工をしていない限り火をつければ燃えてしまい、きれいさっぱり灰になる。だが、目には見えないものの、同時に二酸化炭素も発生していることに注意すべきだ。
二酸化炭素が本当に地球温暖化の主原因かどうかはまだ結論が出ていない問題だが、結論が出てからでは手遅れになるかもしれない。焚書はやめておいたほうがいいだろう。
そのかわりに古紙再生を、と言いたいところだが、紙のリサイクルも結構環境負荷が大きいらしい。リサイクルよりリユース。これが21世紀のエコロジーのキーワードだ。
とはいえ、環境のことばかりではなく、出版文化のことも考えなくてはならない。著作権のことはよくわからないが、中古販売や貸本のせいで著作者に不利益が生じるのだと言われれば、それもそうかという気もする。じゃあ一体どうすればいいんだ?
この問題にはすぐに答えが見つからないので、しばらく棚上げにしておくのがいいのではないかと思う。積極的にリサイクルもリユースもせず、火にくべて灰にするわけでもなく、ただただ死蔵するのだ。
ただでさえ未読の本が多いのに、読み終えて不要になった本まで置いておけないという人もいるだろう。しかし、未読の本とは違って、火をつけて燃やしてしまっても惜しくはない本なのだから、何も書棚に置いておく必要もない。地面に穴を掘って埋めればいいのだ。
ただし、ここで一つ注意が必要だ。湿気のあるところでは紙は腐る。腐った紙は二酸化炭素を排出する。長い目で見れば、焚書とさほど変わらないことになる。
さしあたっては、腐敗を避けるため、防水シートか何かにくるんで埋めればいいが、シートはそのうち風化するだろう。ある程度の年月が経てば掘り返して別の処分方法を考えなければならない。コンクリートで固めて地中深くに埋め直すとか、深海に沈めるとか、宇宙空間に捨てるとか、さまざまな方法が考えられるが、どの方法もコスト面で難があるし、処分の過程で費やすエネルギーや資源も馬鹿にはならないだろう。
いちばんいいのは、いったん穴を掘って埋めてしまったら、あとは埋めたという事実そのものを忘れてしまうことだ。ある種の小動物は、狼に襲われそうになると、地面に急いで穴を掘り、そこに首だけ突っ込むという。こうすれば、迫りくる狼の姿は自分の目から見えなくなる。これと同じことだ。賢狼ホロ相手にこのような手が通用するかどうかは定かではないが、蜂蜜か練乳で気をそらせば何とかなるかもしれない。何ともならないかもしれない。何ともならなくても気にすることはない。今挙げた例は、見出しと全然違う話で気がひけたので最後くらいは多少強引でもいいから『狼と香辛料』に結びつけて締めくくろうと思って無理矢理出してきただけのたとえ話なのだから。

*1:別に、よく考えてみるまでもないことだが。

*2:いま連載中の「少年と少女と白い花」の感想はまだ書いていないが……。まあ、連載完了してから、ということにしておこう。