「子供の頃の自分」のかたきうち

都会育ちの人にとっては想像もつかない田舎*1に生まれ育ったので、子供の頃から情報に餓えていた。いちばん近い「書店」まで自転車で坂を下ること1時間、帰りは自転車を漕いでは坂を上れず、たらたらと自転車を歩くこと2時間あまり。しかも、その「書店」は雑貨屋の片隅に雑誌類を少し置いてあるだけで、創元推理文庫など1冊もなかった。まちの子供たちは毎日学校帰りに書店に寄ってサンリオSF文庫を買ってるのかと思うと、嫉妬とも憎悪ともつかない感情がこみ上げてきた。その反動で、手に入る本なら何でも読んだ。学校で大掃除をすると学習指導要領改訂前の指導書や副読本をただで貰えたので、「南千島」とか「寄せ算」などといった、決して試験には出ない言葉も覚えた。頭でっかちの子供だった。
中学1年のときには、ピアノが1709年にイタリアのクリストフォリが発明した*2「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」が原型となっていることを知っていた。でも、クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテが実際にどのような音色の楽器なのかは知らなかった。本からは音が出ないから。悔しかった。東京や大阪に住んでる中学1年生なら、ピアノの発明者や発明年についての知識はなくても、クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテの音には親しんでいることだろう。それなのに、田舎育ちの自分はクラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテを見たことすらないのだ。この差は何だ!
田舎では決して体験できない未知の文物への憧れと、都会の人々への屈折した思いがない交ぜになった、閉塞感漂う子供時代。それはもう遙か昔のことになってしまったが、今でもたまに何かの拍子に思い出すことがある。たとえば、先日の連休に浜松市楽器博物館を訪れて、クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテの実物を初めて見て、その音を聞いたとき、「ああ、いま、子供の頃の自分の仇をとるために、この博物館にやってきたのだ」と実感した。その瞬間まですっかりクラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテのことなどすっかり忘れていて、旅行のついでに立ち寄ったという意識しかなかったのだけれど、無意識のうちに仇討ちをしていたのだ。
しかし、すべての仇討ちがそうであるように、この仇討ちもまた空虚だ。どんなにあちこちに足を伸ばして見聞を広めようとも、子供だった自分は帰ってこない。子供の頃ならきっと狂喜乱舞したはずの珍奇で新鮮な物事も、感性が摩耗した今となっては、わずかに郷愁を誘うものでしかないのだ。
けれども仇討ちはやめられない。失われた時を求めて、時速1時間のスピードで去っていく「敵」を同じスピードで追いかけて、不毛な旅を続けるしかない。
いつか「敵」と和解できる日が来るだろうか? それとも、返り討ちにあって野垂れ死にするのだろうか?

*1:道路に信号がない、遺体は土葬する、歩いて1時間の小学校の全校生徒は50人、などなど。

*2:ピアノ - Wikipediaによれば、1709年発明説は確定的なものではないらしい。