予言と予報の二者択一

この前携帯を買ったとき、「画面に表示されるのは占いがいいですか、天気がいいですか」と店員さんに問われた。これにも驚いて言葉に詰まったので、あのときふと考えたことをメモしておこう。

最終段落が素晴らしい。感動した。
それはともかく、この二者択一について考えてみる。
占いにもいろいろあるが、ここで言われている「占い」はたぶん星占いのことだろう。「天気」のほうは天気予報に違いない。
星占いと天気予報が同列に語られるということは、なるほど奇妙なことではある。だが、その奇妙さに気づく人はむしろ稀なのではないだろうか。なぜなら、両者には表面的な類似点がいくつもあるからだ。
まず第一に、どちらも空に関係している。星も雲も空に浮かんでいる。地球からの距離は多少違うようだが、どちらも人間の手がまだ触れない彼方にあるという点では同じだ。
「月面着陸は?」
そんなのNASAのでっち上げだ。
「飛行機に乗れば雲の上に出られるよ」
それもトリックだ。きっと飛行機にはタワー・オブ・テラーみたいな仕掛けがあるのだろう。
第二に、どちらも当たったり当たらなかったりする。どちらかといえば星占いのほうが当たる確率が高いが、それでも外れることもある。天気予報は言わずもがな。今年の桜の開花予想を信じて桜祭りのスケジュールを組んだ商工会の皆さんはみな気象庁を恨んでいることだろう。
ところで、河豚を食べるときには「テンキヨホウ」と3回唱えればあたらないという言い伝えがあるそうだが、これはさすがに迷信だ。天気予報にテトロドトキシンを無効化する力はない。このような迷信に惑わされて命を落とす人がないよう、夜空に流れ星を見かけたら3回お祈りしましょう。
第三に、どちらも×××がよく好む。×××は星占いや天気予報に単なる実用性以上のものを求めているのではないかと思われることすらある。たとえば、×××にとっての生きるよすがとか。まことに嘆かわしいことだ。でも、いくら×××が愚かだといっても、その力は馬鹿にはできない。よって、難を避けるため、ここでは伏せ字にせざるを得なかった。
第四に、どちらもラッキーアイテムを教えてくれる。星占いのラッキーアイテムは、ショッピングバッグ、タイトスカート、ネックレス、蛇革の財布、サプリメントなど。天気予報のラッキーアイテムは、雨傘、日傘、防塵マスクなど。
第五に、どちらも理論的裏付けがある。星占いのバックボーンには占星術があり、天気予報の背後には気象学がある。それぞれの理論は非常に高度なもので、素人には理解できない。それがまたいい。
そんなわけで、星占いと占星術が同列に取り扱われるのにはそれ相応の理由があると思われる。もちろん、本質的には両者は全くの別物だ。灯台もと暗しと大正デモクラシーが本質的には全く別物であるのと同じことだ。
だが、人は本質のみによって生きるわけではない。星占いと天気予報の二者択一を迫られたからといって、何も驚くことはないだろう。同様に、もし店員に「画面に表示されるのは灯台もと暗しがいいですか、大正デモクラシーがいいですか」と訊かれても驚くことはない。そんな時は、どちらがいいか迷っているふりをしながら退路を確認し、店員の目が逸れた瞬間に慌てず騒がずさっと逃げ出すといいだろう。
それはさておき。
携帯電話なんて、時計機能がついていれば十分ではないかと思うのだが、どうだろう? どうせ誰からも電話はかかってこないのだし、メールを送る相手もいないのだから。