ライトノベルしか読めないわけではなかった

監禁 (講談社ノベルス)

監禁 (講談社ノベルス)

先日、最近、ラノベ以外の小説が読めなくなって困っています。と書いたが、よく考えれば、その少し前にエンド・クレジットに最適な夏 (ミステリ・フロンティア)』を読んでいたことを思い出した。何がライトノベルで何がそうでないかを厳密に区別することはできないが、少なくとも福田栄一の小説はライトノベルではないことは明らかだから、「頭と目玉がラノベに最適化されてしまい、他の小説を受け付けなくなってしまった」というのは言い過ぎだ。
さて、その福田栄一の最新作『監禁』を読んだ。すらすらと読めた。いつものことだが、いったん読み始めると他のことが手につかないほどだった。これほど読みやすい小説はライトノベルにもあまりないだろう。軽妙だ。でも、全然ライトノベルではない。
読みやすさはいつもと同じだが、今回はコメディではなく、青春小説でもない。まあ、『監禁』というタイトルからコメディや青春小説をイメージする人はほとんどいないだろうと思うが、もしかするとハードバイオレンス小説を連想する人はいるかもしれない。しかしこれはバイオレンス小説でもない。では何なのか?
本のカバーやオビを見ると、担当者の苦労が忍ばれる。安易なレッテル貼りを避け、内容にも極力触れないようにしながら、なんとか読者の興味を惹こうとしているのがわかる*1からだ。ここで「『監禁』は×××××小説だ」と書いてしまうのはたやすいが、そうすると担当者の努力を無にしてしまうのではないか。いや、それは考えすぎか。でも強いてこの小説をジャンルの枠に押し込んで語る必要もないだろう。読めばわかることだし、読んでいない人に知らせることはない。
そうすると、ほとんど何も書くことがない。書くことがないので、一つだけあまり本筋とは関係のないことを書いておこう。
作中年代は明示されていないが、登場人物が携帯電話を持っていることと、看護師が「看護婦」と呼ばれていることから2000年前後の話だと思われる。ところが、棗(なつめ)という若い女性が登場する。「棗」は常用漢字にも人名用漢字にも含まれていないから、これはおかしい。
登場人物の名前が法令上可能なものかどうかということ自体が小説の評価に直結するような事例はあまりないが、現実の社会制度をそのまま作中の世界に持ち込んだ小説なら、いちおうは合法かどうかをチェックしておくべきではないかと思う。

*1:ただし、カバー裏の紹介文最下段の3字熟語はいかがなものか。慎重な読者なら当然念頭に置くべき事柄ではあるのだが、油断している読者にも身構えさせることになってしまうのではないかと思う。