二番煎じとライトノベル業界の未来

 中見を読まずにあれこれいうのも何だけれど、この一覧を見ただけでも、ライトノベル全体が狭い方向に進んでいるのではないか、という懸念は裏付けられる気がする。

 SFやミステリといったジャンル小説に比べて「何でもあり」だといわれるライトノベルですが、「かわいい女の子を出す」ことはもはや必須条件になっているのかも。

 もちろん、一概に悪いことだとは思わないし、「ライトノベルは駄目になった」とも思わない。むしろ、個人的な感覚でいうなら、個々の作品のレベルはむしろ向上しているような気がする。昔だってひどい作品はいっぱいあったよ?

 ただ、ある特定の作風の二番煎じ、三番煎じばかりが増えては、多少質が上がっても、業界の未来は明るくない。洗練された凡作より奔放な失敗作が魅力的に見えることもあるわけで。

言うまでもなく、たとえライトノベル界が狭い方向へ進んでいても*1ライトノベル界が狭い方向へ進んでいるということにはならない。多くの読者は保守的で、飽きることなく似た傾向の本を読み続けるのだから。
もちろん、少々のことでは飽きないタフな読者をもたじろがせるほどの驚天動地の劣化コピー作品が蔓延するようになれば話は別だ。でも、まあ、そんなことにはならないだろう。なったらなったで面白そうだけど。
一読者としては「洗練された凡作より奔放な失敗作が魅力的に見えることもある」という意見には両手をあげて*2賛成するが、今後、業界がどうなろうとも奔放な失敗作が全く出版されなくなることはないだろうと思う。幸い、ライトノベルの場合はパッケージを見ただけでキワモノ、ゲテモノ、地雷や奇書の匂いがぷんぷん漂うので、間違えて二番煎じの凡作を買ってしまうおそれはあまりない。だから何も心配することはない。
この見通しは楽観的過ぎるだろうか?

*1:本当にそのような現象が起きているのかどうかは知らないが、ここでは事実として取り扱うことにする。

*2:「もろて」と打って変換すると「両手」「双手」「諸手」という三つの候補が出た。「両」と「双」はふつう「もろ」とは読まないし、「諸」は「もろ」と読むこともあるので、「諸手」がいちばんだと思って、最初はそれにしていたのだが、しばらく経って気が変わり、「両手」にした。「もろてをあげる」というのは要するに両手をあげるということなのだから。