これは『狼と香辛料(5)』の感想文ではない

狼と香辛料〈5〉 (電撃文庫)

狼と香辛料〈5〉 (電撃文庫)

以前、「『狼と香辛料 (4)』の感想文」という見出しなのに内容は『狼と香辛料 (4) (電撃文庫)』とは全然関係ないという記事を書いたことがある。で、今回は逆に見出しを「これは『狼と香辛料(5)』の感想文ではない」にしてみた。中身は『狼と香辛料(5)』の感想文ではない。そりゃそうだ、まだ本が出ていない*1んだから。でも、『狼と香辛料(5)』と全く関係のない話でもない。
本題の前に前置きをひとつ。
おかしな二人 (講談社文庫)』という本がある。昭和の終わり頃にミステリ界で非常に人気のあったミステリ作家の二人組「岡嶋二人」の結成から解散までの経緯を、独立再デビューした井上夢人が書いたものだ。この本は二部構成になっていて、第一部が「盛の部」、第二部が「衰の部」となっているのだが、その境目はなんと岡嶋二人江戸川乱歩賞を受賞したところだ。岡嶋二人がミステリ界にデビューして徐々に評価を高め、ミステリプロパーの読者以外にも受け入れられていく栄光の歴史のすべてが衰退として語られているというのは、読者の目からすればかなり衝撃的なことで、発売当初話題になったと記憶している。むろん、この構成は単に奇をてらったものではなくてちゃんと意味があるのだが、ここでは説明しない。興味のある人はじかに『おかしな二人』を読んでみてほしい。一見すると隆盛を極めつつある時に実は衰退が始まっていることがあるということを教えてくれる好著だ。
さて、本題の『狼と香辛料』だが……その前にもうひとつ前置き。今度はライトノベル読者にもおなじみの涼宮ハルヒシリーズ*2だ。
アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が大ヒットしたのは昨年のことで、アニメ終了後も人気は衰えることなく、ゲーム化やアニメ第2期の発表などにより再び盛り上がりつつあるように見える。しかし、原作のほうはどうだろうか。第1作『涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)』だけできれいに完結していて、その後しばらく低迷したのち『涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)』で事実上のヒロイン交代によりやや持ち直したものの、シリーズ全体の勢いは静かに衰えていったのは疑い得ない*3。当たり前だが、アニメ化は商業的成功や社会的認知度の向上を示すものではあるが、必ずしも物語に内在する勢い*4が高まりつつあることを表しているわけではない。
さて、今度こそ『狼と香辛料』の話だ。このシリーズは「ハルヒ」とは違って、第1作の段階できちんと終わらずに先を暗示させるようになっている。また、「ハルヒ」は最終目標地点がどこにあるのかが見えない構成になっているが、『狼と香辛料』ではホロとロレンスの旅の目的が明示されているので、この点でも大きく違っている。しかし、どちらもシリーズを構成する各話の間に明確な前後関係があり、一話完結のエピソードの羅列ではないという点では共通している。こういう種類の物語の場合、各話の出来不出来とは別にシリーズを通じての上り坂と下り坂がある。「ハルヒ」が下り坂だということは先に述べたとおりだが、では、『狼と香辛料』はどうか?
私見では、既に下り坂にさしかかっているように思われる。
1巻から3巻まででホロとロレンスの関係が濃密になっていく様が描かれた。また、それと並行してロレンスの商人としての成長も描かれている。3巻の終わりの段階で、「あとはホロの故郷にたどり着くだけ」というお膳立てが大筋では整ってしまっている。最終的な締めくくりがどうなるのかはまだ不明だが、少なくとも「終わりの始まり」が始まっているのは確かだ。
続く4巻は、ある意味では番外篇のようなもので、このスタイルであと何篇かは書けるかもしれないが、終わりつつある本篇の流れを逆流させることはできない。巻数を重ねるごとに作者の技能は向上し、文章もエピソードの見せ方もどんどん上手くなってはいるのだが、物語の勢いの衰えはどうしようもない。そんなことは作者も編集者も当然わかっていることだろうし、読者の多くも気づいている。感想文ではっきりと指摘するかどうかは別として、たとえば2006年下半期ラノサイ杯の結果2007年上半期ラノサイ杯の結果*5を見比べてみるだけで、『狼と香辛料』のライトノベルサイト界隈での評価の変化*6がはっきりと伺える。
一方、読者の中には、作品を一定の流れをもつ物語としてというよりは、個々のエピソードから得られる刺戟の集積として捉える傾向が強い人がいる。そのような人には、今ここで言っているシリーズ作品の盛衰の話はあまりピンとこないだろう。「堅い話は抜きにしようや。萌えがあればいいじゃないか」と彼もしくは彼女*7は言うかもしれない。そのような読み方が悪いとは言えないが、同調したいとは思わない。物事には何でも終わりがあるのだから、ホロとロレンスの旅にも終わりがあるはずだ。旅の道行きがいかに心地よく楽しいものだとしても、いつまでもそれを続けることはできない。
5巻の読みどころはおそらく下り坂をどのように降りていくのかという点だろう。目的地へ向かって粛々と足取りを薦めるのか。「終わらない物語」を求める読者のためにスピードを緩めたり足踏みをしたりするのか。さらに上を求めて逆行するのか。それとも、どうせ終わるのだからと一気に谷底へ飛び降りるのか。いや、電撃文庫の新刊情報*8には最終巻とは書かれていないので、たぶん飛び降りることはないだろうが、「ここで旅を終わろう」というフレーズは気になる。
最後におまけ。

 結局、1巻ではロレンスとホロの物語には決着が付かずに次巻以降に持ち越される訳ですが、支倉凍砂さんがこの物語の構造をうやむやにして逃げずにきっちり最後まで書き切れば、どういう結末になろうと印象に残るシリーズになりそうです。ハードルは高いですが、それを越えられれば傑作になる可能性を秘めていると思います。

*1:もしかすると神保町あたりではそろそろ早売りしているかもしれないが、さすがに数日待てばどこでも手に入る本を人より早く読むために東京までのこのこと出て行くほど熱心な読者ではない。

*2:よく考えれば、前置きとしてはこれだけで十分で、岡嶋二人の件は不要だった。でも残しておく。

*3:と断定調で書いたが、これは一面的かつ偏狭な見方なので、大いに反論してもらいたいとも思っている。なお、シリーズの勢いの衰えというのは作者の技能とは全く別のことなので注意されたい。

*4:物事を批判的に考える人なら、果たして「物語に内在する勢い」などというものが実在するのかどうかというところから疑ってかかるだろう。その疑問に応えるだけの準備は今のところ整っていないので放置することになる。

*5:それぞれシリーズ部門の軽量版にリンクした。

*6:もっとも、この種の人気投票は、世間での認知度の高い作品をわざと外す傾向があるので、額面通り受け止めることはできない。

*7:特定の誰かについて言及しているわけではないので、「彼もしくは彼女」と表しておく。

*8:数日後には内容が変わるはずなので、リンク先はウェブ魚拓