嘘、大げさ、紛らわしい

リアルがいいなら写真や映画やルポルタージュや実験レポートや歴史書でも読めばいいわけで、創作やってる人にリアリティとか期待するほうが間違いだとか俺は思う。俺は作り物は作り物として楽しむ人だ。嘘大げさ紛らわしいの部分にこそ創作の面白さがある。

 もう一つ、私がうけとった投書の一つに(この投書の主は自ら探偵作家と書いてある)私の「不連続殺人事件」に、あれだけの有名人の大犯罪に署長も検事も判事も現れず、新聞記者も現れないとは、とあるが、こういうクダラヌ現実模写がレアリズムの正道だと思っているから、くだらぬ模写に紙数の大半を費して、物語の本筋についての検討がオロソカになるのである。

 署長がきた、予審判検事がきた、新聞記者がきた、そんな本筋の外側のものなど一々アイサツしておっては、文学という芸術にはならない。何を書くべきか、フィクションとは何ぞや、それぐらいの小説作法入門ぐらいは心得ていなければならぬ。