決めつけと嘲笑

 ここには、「ママ、ここにカンガルーがいるよ」といった子供と、その言葉を受け止めた親、そしてその親子のやり取りを「詩」として評価する評者を、まとめて一段階下のものと決めつけ、嘲笑する視線がある。

【略】

 子供が気づいたそのことを、もちろん、親も気づいた。読売新聞の評者も気づいた。北村薫も、気づいた。ただ、この詩を『VOW』に送った投稿者と、その投稿を受け取った編集者だけが気づかなかった。

さて問題です。ここで前四者が「気づいた」と言われ、後二者が「気づかなかった」と言われている事柄はなんでしょうか?

  1. ひらがなの「れ」がカンガルーに似ているということ
  2. ひらがなの「れ」がカンガルーに似ているということに気づいた子供の言葉が「詩」になるということ
  3. ひらがなの「れ」がカンガルーに似ているということに気づいた子供の言葉が「詩」になるということに気づいた人が子供の言葉をコンテクストから切り出して「れ」というタイトルをつけたということ
  4. ひらがなの「れ」がカンガルーに似ているということに気づいた子供の言葉が「詩」になるということに気づいた人が子供の言葉をコンテクストから切り出して「れ」というタイトルをつけたらやっぱり「詩」になったということ
  5. ひらがなの「れ」がカンガルーに似ているということに気づいた子供の言葉が「詩」になるということに気づいた人が子供の言葉をコンテクストから切り出して「れ」というタイトルをつけたらやっぱり「詩」になったということの中に「謎と解決」の雛形があるということ

全然関係ないが、こんなフレーズを思いついた。「詩」と思うかどうかはあなた次第。嘲笑されても別におしくはない。

こい

まわしてごらん
かさなるよ