小説は短いに越したことはない、または、編集者は大切だ

id:asianshore氏の文章テクニックに畏怖する - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記*1経由でロハスで父が死にましたを一通り読んでみた。
面白い!
凄く面白い……んだけど……続けて読むと、面白さが減衰するような気がする。ひとつひとつのおはなしは展開が読めなくて、いつも意外なんだけど、その「意外な展開」の方向性が似ているので、読後感も似たものになってしまうのだ。
たとえば、私のお墓の前で - ロハスで父が死にましたを読む。このオチは決して予測できない。常人の想像を超えた奇想の世界が開けている。でも、正直にいえば、上記紹介文で引用されている冒頭箇所だけで十分面白いし、まとまっている。その後の展開は蛇足だ、とまで言うと言い過ぎかもしれない。だが、他の作品を順に読んだ後だと単に小咄として完結しているほうが新鮮だ。
たぶん、作者の興味は短いコントやショートショートよりも少し長めの小説に向いているのだろうし、そういう小説のほうを好んで読む読者のほうが多数派*2だろうとも思う。でも「私のお墓の前で」に限れば、作者の奇想より紹介者のエディター的センスのほうに軍配を上げたくなるのだ。比べるようなことではないかもしれないが。
ここから一般論として、小説は短いに越したことはない、という持論に強引に話を進めようとしたのだが、むしろ、編集者の重要性という話に持っていったほうがいいかもしれないと思い直して、どっちにしようか考え込んでいるうちに時間切れ。あとは任せた!

*1:カテゴリー記法の使い方をミスっているようなので、見出しの表記を少し修正した。リンク先でも訂正された。

*2:もしショートショート愛好家が多数なら、星新一没後のショートショートの凋落は理解しがたい。