情報格差は何の格差?

いわゆる「デジタルディバイド」というのは、まず知識・技術の格差であって、経済力の格差ではない。あまり経済的に発展してない国にもネットカフェはある。情報発信が限りなくタダに近い時代なのだ。

よく知らないのだけど*1、いわゆる「デジタルディバイド」というのは、経済力の格差と知識・技術の格差が互いに増幅しあう状態のことだと思っていた。要するに「金がなくて毎日かつかつの生活をしている人は電子機器に馴染む機会が少ないから、知識や技術がうまく習得できない。逆に、電子機器に関する知識や技術に乏しい人は就業機会が制限されるため、かつかつの生活を余儀なくされる」というような話だと*2
最近、西アフリカ方面へ旅行して帰ってきた知人の話では、かの国々にもネットカフェがあったそうなので、「経済的に発展してない国にもネットカフェはある」というのは正しいのだろう。だが重要なのは、ネットカフェが単にあるかどうかではなくて、それがどのような社会的階層の人々に用いられているかという実態のほうではないだろうか?
ところで「貧者のメディア」というフレーズから「貧者の核兵器」を連想した。これは生物兵器化学兵器のことだが、もちろん世の貧者の大多数は生物兵器化学兵器を開発するどころか、それらを入手するための金さえ持っていない。「貧者のメディア」もそのような物の喩えとしてなら、まあわからないでもない。だが、インターネットが特にブルーカラー側のメディアとしてとらえられるようになるかどうかは甚だ疑問だと思う。

*1:ついこの前まで、「デジタルバインド」と間違えて覚えていたくらいだ。

*2:「経済力の格差ではない」と断言されているのを読んで不安になり調べてみたが、やっぱり経済力の格差に言及していることが多い。たとえばこことかこことか。実情がどうなのかはともかくとして、少なくとも「デジタルディバイド」という言葉の意味には、経済力の格差という含みがあるように思われる。