体重とは何か

100gは100g - Log of ROYGBを読んで思い出した話。これは以前運営していたサイトに書いたことがあるが、読んだことがある人は少ないだろうし、読んだことを覚えている人はもっと少ないだろうから、気にしないことにする。
この話は要約すれば、疑問文ひとつで書き表すことができる。
体重とは重さなのか、それとも質量なのか?
一方に「体重は体の重さだから『体重』っていうんですよ」と言う人がいるかもしれない。「体重計は重量計の一種であって、質量計ではない。よって、体重計によってはかられる体重とは重さのことにほかならない」と言う人もいるかもしれない。
他方に「体重の単位には通常『kg』を用い、『kg重』を用いることは稀だ。従って、体重とは体の質量のことなのだ」と言う人がいるかもしれない。「体重は身長と同じく人体の基本的な属性だ。質量は属性だが重さは属性ではない。よって、体重は質量だ」と言う人もいるかもしれない。
両者は、たとえば「月世界では体重は地上の約6分の1になる」という文について、全く異なる見解をとるかもしれない。「体重=重さ」論者は、この文が体重の本質を言い表しているものだと評価するかもしれない。他方、「体重=質量」論者は、この文は不正確で、厳密にいえば誤りだと指弾するかもしれない。
両者の対立を止揚するために「2つの体重概念」を持ち出す人がいるかもしれない。あるいは、そのようなことを言い立てる人はいないかもしれない。
全然関係ないが、ついさっき興味深い一文を目にした。

人間は「神の視点」と「私の視点」のアマルガムでものを考えるわけだが、それが多くの哲学問題の源泉な気はするな。

体重の問題が哲学問題であるかどうかはさておき*1、質量と重さは「神の視点」と「私の視点」の対比に準えることができるように思われる。

追記

前言撤回。質量と重さは「神の視点」と「私の視点」の対比に準えることはできない。
というのは、どちらも客観的な事柄だからだ。
人は質量を感じることはできないが、重さを感じることはできる。だから、重さは主観的だと思った上のようなことを書いたのだが、よく考えてみれば、重さは質量と重力の関係で定まるもので、どこにも主観の介入する余地はない*2
「神の視点」と「私の視点」の対比に準えるとすれば、重さ重さの感じを対比すべきだった。

*1:だが、これが哲学問題でないとすれば、いったい何の問題なのだろう?

*2:このことは、イデア(笑)クオリア(笑) - REVの日記 @はてなを読んで気づいた。