書店では輝いていた本なのに、買って帰ると魅力が失せるのはなぜだろう?

誰しも経験のあることだと思うが、本屋に並んでいる本をふと手に取ったときに「これは面白そうだ!」という戦慄めいた予感が走り胸ときめかせてレジへ持って行ったはいいが、家に帰って袋をあけてみるとどうでもよくなってしまい、そのまま未読本の山の頂上に積んでしまうということがよくあって、そのたびになぜこのような魅力減退現象*1が発生するのかと心悩まされてきた。これがなければ積ん読も多少はましになる*2のだが。
もちろん、魅力減退現象は本に限ったことではなく、およそ衝動買いが発生するすべての商品について起こりうる現象ではある。だが、商品一般にみられる魅力減退現象と本の場合のそれとが全く同じメカニズムで発生するのかどうは慎重な検討を必要とする。もしかしたら、本に固有の事情があって、魅力減退現象の現れ方にも何か違ったところがあるのかもしれない。
一般論はさておき、本の魅力についていえば、書店にあるときにはカバー*3やオビが露出した状態にある本が、購入時に梱包され隠蔽されることと何か関係があるのではないか、と考えてみたことがある。むろん、読むときには袋から出すわけだが、書店でカバーをつけてある場合、それをつけたままだと、本そのものの外面が隠蔽されたままであることに違いはない。
あるいは、書店に並んだ本は、いわば「知のネットワーク」に位置づけられているが、そこから1冊または数冊抜き出すとネットワークから切り離されてしまい、価値に変動が生じるのかもしれない。優れたコレクターの書斎を訪れて、書棚にずっしりと並んだ本に興味を惹かれて面白そうな本を借りてきたらやっぱり読む気が失せたという経験もあるので、これも一考に値する仮説といえよう。
さらに、「不特定多数のぎらぎらとした欲望に曝された1冊の本」が自らの所有物となることで、欲望の対象としての魅力が失せるという側面も無視できない。これはほかの商品にも通じることではあるのだが、特に本の場合は他種類の商品が少数ずつ販売されるので、1冊の本への欲望の集中の度合いが大きくなるように感じられる*4のかもしれない。
いろいろ考えてはみたが、これが決めてだといえる解答が思い浮かばない。案外、書店の照明から特殊な光線が投射されていて衝動買いを促しているのかもしれない。もしそうなら、電灯をわけてもらいたいものだが。

*1:これは今思いついた造語なので、より適切な言葉があれば置き換えてもかまわない。

*2:積ん読とは要するに購入量と読書量との差異によって生じる現象だから、仮に魅力減退現象がなくても自らの読書ペースの見積もりが甘ければゼロにはならない。とはいえ、明らかに余計な本を衝動買いすることがなければ、悲惨な状況が緩和されることは疑いえない。

*3:本そのもののカバーのこと。あとで述べる書店のカバーのことではない。

*4:もちろんそれは気のせいだ。多くの人が欲する本は山積みになるのだから。