愛と無関心・つづき

愛と無関心では、愛と無関心をストレートに対置することに疑念を表明したが、その後、コメント欄での議論を経て、これをカテゴリーミステイクではないとみなす考え方があるのではないかと思うようになった。
前回の文章の前提は、愛とはある種の関心である、という考え方だったのだが、そうではなくて、愛とは関心そのもの究極的な関心のあり方だと考えれば、関心の欠如である無関心と同一平面上の対極に位置するものと考えることができる。
もっとも、この考えはまだ思いつきに過ぎず、どこまで擁護可能なのかは検討していない。たとえば、人がもつさまざまな関心を「不完全で中途半端な愛」とか「愛の一部を分有する欠片」というようにみなして整理することに問題はないのかどうかは今のところ全くわからない。