弥生文化博物館訪問

今日、大阪府立弥生文化博物館へ行ってきた。目当ては和歌山電鐵貴志川線と「駅長たま」写真パネル展、もとい、平成20年度夏季企画展鉄道発掘物語だ。会期前に紹介したまま忘れていて、いよいよ終了間近になってから思い出して、今日ようやく赴いた次第。
弥生文化博物館はJR阪和線信太山駅の近くにある。駅を挟んで反対側には、男性なら「兄ちゃん、遊びに来たの?」、女性なら「姉ちゃん、面接?」と、見知らぬ人にも気さくに声を掛けてくる人情味溢れる人々がいる街がある。家々は玄関を開け放していて外から中を覗くことができるのもおかまいなしという大らかな人が多い。でも、どちらかといえばあまり社交的な性格ではなくフレンドリーな雰囲気が苦手なので、早々に退散した。
それはさておき。
弥生文化博物館というのは、読んで字の如く弥生時代の文化についての博物館だ。「弥生時代」の語源となった東京都文京区弥生には弥生美術館・竹久夢二美術館があるが、たぶんそっちとは無関係だと思う。弥生文化博物館は古代史・考古学系の博物館だから。
今回の展覧会のテーマは鉄道であり、弥生時代には鉄道はなかったから、本来の博物館の守備範囲からは外れるが、「鉄道発掘物語」というタイトルからもわかるように、考古学的観点からの展示が中心となっている。その意味では全く弥生文化博物館と関係のない展覧会というわけでもない。ただ、鉄道考古学資料に絞って掘り下げるのではなく、交通科学博物館などから借りてきた資料や鉄道模型の展示なども行っていて、やや散漫な印象を受けた。考古学系の博物館の特性を活かして、産業系博物館の鉄道展とは異なる視点を貫いた展示を徹底してほしかった。
企画展にはやや不満もあったが、博物館の本来の実力は常設展で発揮されるものだから、そっちのほうも見てみた。弥生時代の生活、稲作などに関わる様々な展示物が豊富にあった。よくこれだけ集めたなぁ、と思って見ていると、「漢委奴国王」の金印なども展示されていた。
あれ? さすがにそれは本物じゃないでしょ。
ところが、展示物の案内札のどこを見ても「複製」とは書かれていない。不思議に思って係員に尋ねたところ、案内札に米印がついているのがレプリカで、無印のものが本物だということだった。そこで再度常設展示をざっと見回したところ、半分以上の展示物がレプリカだった。
博物館の展示物は実物に限る、などという原理主義を振りかざすつもりはない。たとえば、大塚国際美術館なんかはすべての展示物がレプリカだが、「最後の晩餐」の修復前と修復後の姿を向かい合わせに展示するなど、実物では不可能なことを成し遂げている。レプリカにはレプリカの意義がある。ただ、それでもやっぱり実物とレプリカは別物なのだから、そこははっきりと線引きしてもらいたい。
レプリカに米印をつけるというやり方では、博物館の展示をみた人すべてに伝わるとは限らない。レプリカにははっきりと「複製」と表示することで、オリジナルの貴重さや稀少性を示すことにもなり、類例が多い出土品などの実物展示との違いを理解する助けにもなるだろう。そのような教育的観点からも、レプリカの明示が必要ではないかと思った。