幸福と幸福感は同じではない

ある人が幸福であるかどうかが、かなりの程度においてその人が自分が幸福であると感じているかどうかに依存するということは論をまたない。だが、「痛み」のような純粋な感覚語と「幸福」という語とは言語的振る舞いを異にするということもまた事実だ。
おそらく、幸福という状態は複数の性格の異なる要因が複雑に絡まり合って構成されていて、それが幸福論の難しさの原因にもなっているのだと思う。幸福を感覚に擬える議論では、幸福がもつその複雑さがうまく掬い取れないのではないかと考える。