人はしばしば必要でないものを必要と言い、不可欠でないものを不可欠と言う

大学院入学おめでとう!これから研究に、研究に、研究にがんばってね。

でも、毎日研究だとアレなときがあるよね。だから、新大学院生が楽しい研究生活を送るために必要不可欠のツールであるビールについて簡単に解説します。

へぇー、じゃあアルコールを受けつけない体質の新大学院生は楽しい研究生活を送れないことが確定しているんだ。ふーん。ああ、新大学院生じゃなくてよかった!

関連

航空会社による不採算路線の廃止や減便が続く。昨年には国内線だけでもJALが12路線の運休と4路線の減便を、ANAが8路線の運休と14路線の減便を発表した。地方活性化には欠かせない空港だが、今後は“飛行機が飛ばない”空港が出てくる可能性もある。

追記

本文では「必要」「不可欠」をあえて厳密に解釈することによって批判のポイントをわかりやすくしたつもりだったが、ブクマをみるとなんか誤解されているようなので、野暮かもしれないけどいちおう補足しておく。

Erlkonig language, society 文脈上、必要という言葉が「あると嬉しい」くらいの意味で使われているとしたら、論理上の問題はない。その場合の妥当な批判は多分「誤用である」「意図が分かりにくい」あたり。 2009/04/05

酒が飲めない人間には酒は「あると嬉しい」ものでは全然なくて、「あってもなくても同じ」ものだし、飲ミュニケーションの鬱陶しさを考えに入れれば、むしろ「ないほうが嬉しい」ものだ。別に楽しく酒を飲んでいる人に「飲むな」とまでは言わないけれど。
この感覚は酒飲みにはピンとこないかもしれないが、世の中にはそういう人もいるということは頭の片隅にでも留めておいてもらえると嬉しい。酒が飲めないからと言って楽しくなれないわけじゃないし、人生の半分を損しているわけでもない*1のだ。「必要」という言葉を用いることに論理上の問題はないにしても、当然でないことを当然であるかのように扱うことによって、表だっては反論しにくいけれど、妙に息苦しい「空気」を作り出してしまうという事実上の問題*2はあるのではないかと思うわけです。

追記の追記

「アルコールを受けつけない体質」とか「酒が飲めない人間」という言い回し自体が問題含みだということに、今、気がついた。生理的に酒が飲めるかどうかではなくて、酒を飲みたいか飲みたくないか、あるいは、酒が好きか好きでないか、というレベルで話をするべきだった。
たとえば煙草の場合だと、生理的に受けつけない体質でなくても、煙草を吸わない人はいくらでもいて、それでも「良い煙草喫みになれ」などと強要されることはない。だが、酒の場合はどうしても受けつけない人だけが「免罪」され*3飲めば飲めないこともない人が飲まないのは「わがまま」「協調性がない」などと評価される傾向が今でもあるのではないか。そう考えると、本文及び追記で用いた表現自体が、息苦しい「空気」の後押しをする不適切なものだったことがわかる。自戒のために文章の手直しはしないが、以後、気をつけたい。

*1:人生の半分 - 一本足の蛸参照。残念ながらリンク先の記事は消滅してしまっているが。なお、同じ記事に言及しつつ異論を提起している例もある。

*2:「必要」とか「不可欠」といった言葉を使うことでそのような「空気」を作り出してしまうのではなくて、予めそのような「空気」があるから「必要」などという言葉を使ってしまうのだ、という批判は当然考えられるところだが、その点について語り始めると長くなるのでパス。いずれにせよ、問題のある「空気」が言葉遣いにより可視化されていることに気づいてもらえれば、それで結構。ちなみに本文の後で地方空港サバイバル〜廃止・減便を食い止める秘策とは - ライフ - 日経トレンディネットに言及したのは、やはり似た構造の問題点が潜んでいるのではないかと思ったからだ。

*3:されないこともあるが。