お前が十冊読むなら私は百冊の積みをもって

以前、「第1回ライトノベル積読杯」というネタ企画で、『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』と『プリンセス・ビター・マイ・スウィート』を取り上げて、次のように書いた。

去年のコミケ会場で、昔の先輩にいきなり「森田季節を読め!」と言われたので買った。なんでも、その先輩の知り合いだそうで。先輩自身は特にラノベをよく読んでいる人ではないので、ちょっと不安に思い、たまたま近場にいたこの人この人に聞いたら、両氏ともかなり高い評価だったので、まあ間違いないだろうと思って買うだけ買った。そのうち読む。そのうち、な!

これまでの人生において「そのうち読む」と言って、本当にそのうち読んだことなどほとんどない。たぶん1000回に1回くらいの割合だろう。『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』は、その1パーミルの例外にあたる。こう書くとなんだか凄い体験をしてしまったような気がする。
この小説を読んだ感想を一言で書くと「少し変な小説だった」という程度か。世の中には物凄く変な小説があるもので、ライトノベルだとたとえば中村九郎の諸作や谷川流の『絶望系』のように、真の意味で「怪作」の名に値する作品がいくつかあって、それらに比べると『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』は相当おとなしい。よって「少し変な小説」という評価になる。
面白いか面白くないかといえば、面白い。だが、少しとはいえ変な小説なので、どこがどう面白いのかを筋道立てて説明するのは難しい。そこで、この小説の本筋とは関係のない話題ふたつで誤魔化しておこう。
ひとつめ。
作中に出てくる【イケニエビト】という歌に「お前が十を奪うなら私は百の命をもって」というフレーズが出てくる。これは第3章の章題にもなっていて目次に書かれていたから、本文を読む前に目にした。その瞬間、オルフェウスの冥府下りのエピソードを連想した。といってもギリシア神話そのものではなく、それに材をとったモンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』のほうだけど。
吟遊詩人オルフェオオルフェウス)は亡き妻エウリディーチェ(エウリュディケー)を取り戻すために冥府に下り、音楽の力で冥府の番人たちを感動させ、妻を奪還することに成功する。ところが、地上に出るまで決して妻の顔を見てはいけないという禁忌を破ったため、妻は再び冥府に飲み込まれていく。そのとき、エウリディーチェは夫に「これから毎日私は1000人の人を殺す」と呪いの言葉を吐き、オルフェオは「だったら私は毎日1500人の子を作ろう」と返すのだ。
……あれ? エウリディーチェがオルフェオを呪わないといけないんだ??
ええと。
今調べたら、それはギリシア神話ではなくて、古事記のエピソードだった。

伊邪那美命言、「愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞殺千頭。」爾、伊邪那岐命詔、「愛我那邇妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋。」是以一日必千人死、一日必千五百人生也。

まあ、どちらにしても『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』の内容とは何の関係もないことだ。
ふたつめ。
さっき、こんな記事をみた。

天正」という姓はかなり珍しいが確実に存在する。昔の知り合いにも「天正」姓の人がいた。また、「夢」という名前の人は昨今ではあまり珍しいものではないだろう。だから、「天正夢」という氏名の人がいても不思議ではないのだが、同じ名前のカレーがあるというのは奇遇だ。調べたわけではないが「横須賀海軍」という名前の人は全国探しても一人もいないだろうし。
それはさておき、『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』には三人の主要登場人物がいる。

  • 左女牛明海(さめうしあけみ)
  • 栄原実折(さかえはらみのり)
  • 神野真国(こうのまくに)

「左女牛」というのは珍姓の部類に入るだろう。実在する姓なのだろうか? 調べてみると、昔、平安京左女牛小路という通りがあったそうだ。作者は『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』出版当時京都在住だったそうなので、左女牛明海の姓はその地名にちなんだものかもしれない。
ここまでは納得できるのだが、よくわからないのは「神野真国」だ。検索すればすぐわかることだが、全く同姓同名(?)の荘園が中世に存在した。

紀伊国那賀(なか)郡にあった荘園で,和歌山県美里町(現・紀美野町)を流れる貴志(きし)川とその支流真国川の流域一帯を占めた。立券当初は1荘であったが,鎌倉中期以降,貴志川流域の神野荘とその北に続く真国川流域の真国荘の2荘に分立。

神野真国荘問注文書等目録などという古文書があり、もしかすると中世史のうえでは有名なのかもしれないが、少なくとも現代の地名としては、どマイナーだ。いったい作者が何を考えてこんな名前をつけたのか、全く想像もつかない。
一時は単なる偶然なのかもしれないとも思ったのだが、『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』を読み終えて、続いて繙いた『プリンセス・ビター・マイ・スウィート』のカラー口絵で「田辺千香露(たなべちかつゆ)」なる人物が紹介されているのを見るに及んで、やはり意図的につけた名前だという確信が深まった。
もう1冊、別シリーズの『原点回帰ウォーカーズ』も併せて登場人物の姓名を片っ端から検索にかけてみると、地名由来とおぼしき姓や名前が多い。「関屋」「東三条」などは新潟県にあり、どちらも駅名にもなっているが、そこに何か意味があるのかどうか。「甘南備周参見(かんなびすさみ)」などという、漢字だけでは正しく読める人がほとんどいなさそうな名前は何なのか? 「足利」「畠山」などは、足利庄、畠山郷、などの地名より、室町将軍家や三管領のほうが有名だが、やはり中世史と何らかの関係があるのか?
このあたりの事情を究明していくのは楽しそうだが、今は時間記にも心理的にも全く余裕がない。この種の探究はぎをらむ氏の得意分野だが、谷川流作品の舞台探訪にかける情熱の1パーミルでいいから振り向けてもらえないものだろうか。