同調圧力と平等主義は違う

日本という国は、戦後、一億総横並びを是としてきた感がある。出る杭は徹底して打ち、抜きん出ようとする者はひきずりおろす、そういうところが、この国にはたしかにあった。

しかし、ここに来て、それでは巧く行かないのではないか、という価値観がかえりみられる余地が出てきた、ということではないか。

平等万歳、民主主義万歳、のアンチテーゼとしてのノブレス・オブリージュ賛歌が、ある程度の説得力をもって提示されうる時代がやって来た、ということなのかもしれない。

「出る杭は打たれる」という言葉は昔からあるもので、何も第二次世界大戦後の世相や思想状況と特に結びつけて考える必要はない。身分社会で「分をわきまえろ」「身の程を知れ」などといって人々を束縛し、抑圧してきたものが、形を変えて今も生き続けているというだけのこと。横並びをよしとする価値観と平等主義は似て非なるものだ。
「一億総中流」から「格差社会」へと世の中が動いているときに、ノブレス・オブリージュなどという舶来の観念がどのように関わりをもつのかは判然としないが、「平等万歳、民主主義万歳、のアンチテーゼ」とか「ある程度の説得力をもって提示されうる時代がやって来た」などと平然と言われると鼻白む。ノブレス・オブリージュもまた出る杭を打つためのツールになりうるものなのに。

ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

なお、ふつう「ノブレス・オブリージュ」という言葉と結びつけて考えることはないだろうが、戦後日本のエンターテインメント界に君臨しつづけたあるスーパー・ヒーローは、その特権的な地位を用いて悪代官や越後屋を懲らしめ、庶民の喝采を浴びてきた。エンターテインメントを通じて社会的通念や価値観の変遷について騙る語るのなら、この人物に直接言及しないまでも、意識の片隅に留めておいて損はないと思う。
最後に、アンサイクロペディアからの引用。

「出る杭は打たれる」は、「目立つ人は憎まれる」「周りに合わせないと嫌われる」と云う意味を持つ諺から派生したものであり、個人を殺して周囲に合わせようとする日本人の性格を一言で表している。これは、彼らが人生を生きていく上でのスローガンであり、プロパガンダでもある。

現在、「出る杭は打たれる」をスローガンとする者は年々増加しており、それは多数派に支持されるようになった。この「出る杭は打たれる」主義者は、打杭主義者(うちくいしゅぎしゃ)と呼ばれる。最近では、その打杭主義者が少数派を多数派に同化させることも増えており、それは深刻な社会問題と化している。

【略】

打杭主義者の特徴は、ごく普通の人々であり、他人から好かれる人などである。また、少数派に好かれる人より多数派に好かれる人のほうが支持層は厚い。彼らの口癖は、「出る杭は打たれる」以外にも、「KY」「みんなやってます」などがある。

そして、打杭主義者のもうひとつの大きな特徴が、「出る杭は打たれる」と連呼するのに自分は打たずに誰かが打ってくれることを待つだけということである。ただ、打杭主義者らにより集団から疎外された人は、適度な精神的ダメージを受けるであろうから、それだけでも打たれたことになるのかもしれない。